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2012.9.20 AKAAKA写真集出版作家連続展 トークショー
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【校 長】こんばんは。ビジュアルアーツ大阪校の校長・百々俊二と申します。
今日は赤々舎の代表・姫野さんと、4人の写真家さんたちに来て頂きました。
小野啓さん、齋藤陽道さん、ERICさん、百々新さんです。
まずはそれぞれの作品制作にまつわる話を伺ってから、
姫野さんに制作の裏話をお聞きしてみたいと思います。
今の20~30代の若い写真家たちが、どういうかたちで写真と向き合っているか。
それと、これからどういう方向に向かっているのか。
そういうことが少しでも浮き彫りになればいいなと思っています。
どうぞよろしくお願いします。
《会場/拍手》
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小野啓「NEW TEXT」
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【小 野】小野啓です。よろしくお願いいたします。
僕は日本中の高校生のポートレートを撮り続けていて、
その写真を展示した「NEW TEXT」という写真展が、
本日9/20からビジュアアーツ1階のギャラリーで始まりました。
僕はこの学校の卒業生です。
この作品は学生時代...2002年から撮り始めて、今年でちょうど10年になりました。
初めは高校生が持っているイノセントな部分や、危うい部分に強烈に惹かれ、
「それを撮りたい」という、強い想いからスタートしました。
2004年頃からはインターネットを用いたり、
フライヤーを作って、高校生が立ち寄りそうなところに置かせてもらい、
"募集" というスタイルで被写体を募るようになりました。
雑誌の募集欄にも記事を載せてもらったことがあります。
その結果、北は北海道から南は沖縄まで。日本全国に撮影の範囲が広がりました。
【小 野】「撮ってほしい」という動機は様々で、
何か理由があって、勇気を出してメールをくれる子もいれば、
「学校生活の思い出を残したいから」という子がいたり、
単純に撮られることに興味がある子や、
「自分の生きている証を残したい」と、切実に写真を求める子もいました。
人によって理由は違いますが、
誰もが「自分の存在を見つけてほしい」と願っているように感じられます。
【小 野】撮影は彼らが住んでいる街に行って、どこか関わりのある場所で行います。
通学路、よく行くところ、部屋の中、学校の中......
「リアルな場所で撮りたい」という想いがあるので、
どこにするかは被写体の高校生と一緒に決めています。
【小 野】僕は被写体になってくれる子を選んだりは一切しません。
連絡をくれた高校生全員のところに行きます。
事前の連絡はメールだけ、ということがほとんどなので、
相手の顔もわからないまま撮影に臨むことがほとんどです。
その結果、10年間で日本全国の高校生500人のポートレートを撮りました。
【小 野】高校生に対する強い関心からスタートしたこの作品ですが、
撮影を何年も続けているうちに、どんどん関心の範囲が広がっていきました。
たとえば高校生が来ている制服の着こなし方や、
彼らと話しているときに感じるコミュニケーションのこと、
スクールカーストのことや、彼らが学校の中でどう生きているかなど、
どんどんそっちにも興味が湧いていきました。
【小 野】写真に写り込んでいる背景のほうにも、関心が強まっていきました。
たとえば日本中に郊外が広がっていることや、
撮影のために、新幹線や高速バスを利用して色んな場所に行くと、
どこで降りても、少し歩いたら似たような風景が広がっているように感じます。
コンビニやショッピングモールが立ち並んでいる風景が、
どんどん日本中に広がっていった気がする。
「日本の風景が均一化してきた」と言われていますが、
本当に「ここは一体どこなんだ?」って思うことがよくあります。
そんなショッピングモールが増えてきたのも、
スクールカーストのことを言われ始めたのも、2000年代に入ってからです。
僕が高校生を撮り始めた時期とまったく同じで、
現象とシンクロしているのがとても興味深い、と思いながら撮影をしてきました。
こうした社会的な現象にまみれながらも高校生は生きているし、
そんな彼らと同じ時代を生きていることを、写真を通して実感してきました。
【小 野】日本各地に高校生を撮りに行く過程で、
「この写真はまさに今の日本を撮っているんだ」と思うようになりました。
撮っているうちに、写真の背景的な要素の考えがどんどん深まっていき、
それと同時に、自分自身もどんどん写真に踏み込んでいくことになったと思います。
「自分が何を撮っているのか」を、写真を撮りながら気付いていった...
10年間撮り続けてこれたのは、こうした多くの気づきがあったからでしょう。
【小 野】この作品のタイトルは「NEW TEXT」... "新しい教科書" という意味合いです。
これからの日本には新しい教科書が必要だと感じていて、
「高校生である彼らがそういった存在になるのではないか?」
「そうなるべき存在なのではないか?」
という想いから、このタイトルを名付けました。
【小 野】この作品で1番大事だと思っていることは、
彼ら一人ひとりと向き合って、ポートレートを撮ってきたこと。
僕の前に彼らが現れて、写真を撮らせてくれたから存在する作品なのです。
10年間延々と続けてこれたのはとてもすごいことで、
そのこと自体が写真的だなと思います。
【小 野】僕の写真は「高校生を撮る=青春の一コマ」と捉えられがちですが、
そのことにちょっと違和感があります。
時代の同時的な現象も踏まえて写真を撮りたいと思っているし、
今は高校生のことを「青春」という言葉ひとつで捉えられない時代だと思います。
【小 野】最初に撮り始めた頃は、ルーズソックスを履いていましたが、
紺のハイソックスになって、最近はその上からルーズソックを履いている。
ファッション的な変遷も、すごく感じられる作品です。
スクールカーストや日本に郊外が広がっていること、制服の着こなし方...
そういう変遷も含めて、今の時代のドキュメントということだけではなく、
将来は何か歴史に残るような...資料的な意味合いを持ってくるのでは?と、
10年撮ってきて、今は本気で思っています。
【小 野】被写体の募集を始めてから、
連絡をくれた高校生とメールのやり取りをして、各地に赴いて撮るという、
ミニマルなことをずっとやり続けてきました。
今、10年を振り返りながら写真集にまとめていますが、
「これって本当に自分でルールを作っていたのかな?」と思うところがあります。
自分が作ったルールではあるけれど、
被写体になる高校生は一切選ばず、必ず全員のところに撮りに行っている。
ということは撮る地域が選べないし、撮影場所も、彼らと一緒に考えて撮っている。
ひとつのシステムみたいな流れの中に、自分が放り込まれているだけで、
「ただ写真を撮るという存在でしかないのでは?」と思えてきました。
そういう風に思ってからは、
それをわかった上で、システムの渦の中に自ら入り込んで続けていく...
これこそが写真行為だと思うようになりました。
写真にまみれながら撮ってきたことに、 写真集を作りながら気付けたこと。
これは非常に貴重な経験だなって思っています。
...以上で僕の写真についての説明を終わりにします。
ありがとうございました。
《会場/拍手》
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齋藤陽道「感動」
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【齋 藤】こんにちは。齋藤陽道です。
今日は手話で話そうと思います。
これから流すスライドは14分間ぐらい。ずうっと続きます。
休憩したり寝ていてもかまいませんが...、まぁ見てください。
《会場/笑》
[ "感動" のスライドショー]
【齋 藤】終わりっ。ありがとうございました。
《会場/拍手》
【齋 藤】スライドの流れは写真集のページと同じ構成です。
おれは、人間、動物、虫、風景...
すべて根本で共通するものがあると思っています。
【齋 藤】写真集は、左を見てから右を見る...
「対になっている」というイメージで見てほしいです。
スライドの場合は、ひとつが終わったら次の1枚、次の1枚...っていう風に、
すべてがつながって、"奥行き" というかたちになるように見てほしい。
【齋 藤】おれは聞こえないけど、それは写真にはまったく関係ないこと。
だけど人とコミュニケーションをとるときは、そうはいかない。
どうやって相手と話そうかな?って、いつも考えないといけない。
でも、声でのコミュニケーションがとれない=喋れないっていうのは、
動物とか虫とか空気も同じことで。
逆に言えば、ぜんぶ同質に見えているってことだよな、と
そのことに気付いたとき、自分のみえている世界に可能性を感じました。
【齋 藤】写真集の中の白いページ。これはとても大切です。
なんにもない...。
なんにもないっていうのは、捨ててしまっているわけではなく、
きれいすぎて怖いっていうことでもあります。
"豊かな空間" というイメージでたぐり寄せてほしい。
【齋 藤】"感動"を手話で表すと、...東京と大阪では表現の仕方が少し違いますが、
東京では指差し指と親指でこういう風に表します。
でもそれは直訳みたいな表現で、おれが思う "感動" とはまた別です。
おれがイメージする "感動" は...
相手と向かい合って見つめあって。
そうすると相手のなにかが、迫りながら心の中に入ってきて花開く。
そして燃えるように、はじけるように出ていく...。
感動のかたちはそういうものであってほしい。
自分を通して、目の前のものをさらに咲かせる。それって写真の基本だね。
【齋 藤】写真って薄っぺらいものだけど、
その薄くて小さい核が心の奥に入ってきて、そして出ていく...
そんな感じで写真を撮っています。
それが写真の基本だと思ってる。
【齋 藤】「感動」というタイトルをつけたのは、
人として、写真家として、一般のところから始まりたいと思ったからです。
まだまだ始まったばかりで、これからですが...。
話はこれぐらいで終わりにします。
ありがとうございました。
《会場/拍手》
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ERIC「中国好運」
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【ERIC】こんばんはー。写真家のERICと言います。
今日はトークショー...っていうよりも、写真集を売りにきました。
《会場/笑》
【ERIC】今、トークをしていた齋藤陽道さんの「感動」は 3,150円。
僕の期待の新作「LOOK AT THE PEOPLE」も 3,150円。
これはシンガポールで割安で印刷して頂きました。
百々新さんの「対岸」は 5,250円。
それから2008年に出した「中国好運」。
もう二度と撮れない作品をまとめた写真集で、これはちょっと割高で 8,000円です。
【ERIC】僕の生まれは香港で、日本に来てから今年で15年目になります。
僕は東京のビジュアルアーツを...たしか2001年に卒業しました。
で、写真を始めて12年になります。
なんで日本に来たかというと、僕は反抗期がとても長くて、
20歳になる前に、親と離れて1人で住みたいと思っていました。
その頃、周りの友達はカナダとかイギリス、アメリカに留学していたけど、
僕は英語で話すことをそんなに特別だと思っていなくて、
違うことをやりたいなと思っていました。
で、香港の靴屋さんで働いていたとき、
お店にたまたま来た日本人の観光客と友達になったんです。
それがきっかけで日本に興味を持ち、
日本語を勉強するために、20歳になる前...1997年の4月に日本に来ました。
【ERIC】最初は、日本語を勉強したら香港に戻って、
日本語で旅行のガイドさんでもやろうかなと思っていました。
でも1997年7月1日に香港が中国が返還されてから、
日本人の観光客があんまり香港に行かなくなったんですよ。
だから日本語の勉強を2年間したけれど、
その仕事は成り立たないなと思って、結局香港に帰りませんでした。
その頃、西村カメラという写真屋さんでアルバイトをしていて、
その流れで写真の専門学校に入ろうかなーと思い始めました。
東京近郊には、市ヶ谷のビジュアルアーツ、横浜の東京綜合写真専門学校、
渋谷の日本写真芸術専門学校と3校あるんですよ。
で、横浜は通うのにお金がかかるからやめました。
渋谷はいいなと思ったけど、資格が足りなくて...。
香港の義務教育は12年なんですけど、
僕はあまり勉強が好きじゃなかったので、11年しかなかったんです。
《会場/笑》
【ERIC】で、ビジュアルアーツに見学しに行ったとき、
今の校長である橋本先生から、「あなたやる気あるの?」って言われたから、
「やる気あります!」って答えたら、それだけで留学できました。
それが写真との出会いです。
【ERIC】なんでこんな話をするかと言うと、
僕は香港から来て、学費も生活費も、自分でアルバイトをしながら払ったんです。
写真の専門学校に入ると、お金は出る一方...。入ってくるものはない。
だからとてもとてもお金が欲しかった。
でもアルバイトをすればするほど時間がなくなり、自分のやりたいことができなくなる。
矛盾しているように感じ、悩まされて...
23歳のときに香港に帰ろうかなって思いました。
友達も彼女もいなくて何やってんのかな?って思い始めて。
【ERIC】そんなとき、西村カメラの次男さんが、
横浜の写真学校の夜間部に通いながら、作品を作っていたんです。
それを見てかっこいいなーと思っていたら、
「コニカミノルタ フォト・プレミオに出さない?」と彼から言われて、
僕も出すことにしました。
出す理由はただひとつ。"お金" です。
グランプリを取れば賞金100万円が貰えるというので、出してみました。
そしたらそれが通っちゃって...。
現金で100万円頂きました。
でも税金で10万円引かれて、結局は90万だったけれど。
《会場/笑》
【ERIC】で、その90万で学費を払いました。
ビジュアルアーツって安くないよね?年間120万ぐらいかかるでしょう?
だからアルバイトをしながら、奨学金で学費を払っていたんです。
西村カメラの社長さんがすごくいい人で、足りなかった分は前借りして払いました。
そんなことがあったから、僕はお金に執着しているんです。
【ERIC】写真を撮るのはすごく好き。
風景じゃなくて人を撮るほうが好きですね。
でも僕、人混みが嫌いなんですよ。電車とか新幹線に乗るのもダメ。
でも写真を撮るときは、必ず人混みのところに入りこみます。
「その街にいる人たちをうまく撮りたいな」と思いながら、
たくさんの偶然とか、そのとき自分の感じたことを含めながら、
12年間ずっと撮り続けてきました。
で、2008年に「中国好運」という写真集を赤々舎から出したのですが、
僕にとってはこれが大きなきっかけになったんです。
【ERIC】この頃はあまり仕事がなくて、
フリーランスでカメラマンをやって、月々2、3万ぐらいの収入でした。
家賃は6万円。
それが2年ぐらい続き、もうお金があまりなかった。
でも持っていたカメラや洋服など、お金になるものを全部売って、
2年の間に中国へ約12回通いました。
で、2008年の北京のオリンピックの前...その年の3月の終わり頃、
多忙な姫野さんに強くお願いして、どうにか会ってもらいました。
そして2時間のプレゼンテーションの結果、
「写真集にしましょう」と言ってくれたのです。
その時はまだ完成していなくて、これまで撮ったもの見せながら、
オリンピックの年に出せたらいいな、という話をちらっとしました。
そしたら「出しましょう。がんばりましょう」と言ってくれましたが、
「この写真集が出せなかったら、もう日本でやることはないな」って思っていました。
お金もなくなり、その頃は彼女にふられて参っていた時期だったんです。
だから香港に戻ろうかなって考えていました。
【ERIC】その頃は肖像権の問題とかで、日本で人物の写真が発表しにくくなりました。
展示する場所も限られてしまい、なかなか大きく取り上げられなくなり、
すごくやりづらくなりました。
それでも姫野さんは「出す」と言ってくれたから、テンションが上がりましたね。
「1人でも見てくれる人がいるなら、もうちょっとがんばろう」って。
そう思って今に至ります。
【客 席】すごい...!
【ERIC】これが僕の写真の撮り方です。
「危険」とか「殴られたりしたことある?」ってよく言われるけど、ないわけがない。笑
《会場/笑》
【ERIC】捕まったこともあります。でも、それがいいんですよね。
人混みの中をこの距離でドキドキしながら撮るのがやめられない。
このスタイルで、去年はタイの洪水を撮りに行きました。
「ちょっと作品が撮れないかな」と思って。ただそれだけで行ってきました。
その作品をどうしても見せたいので、最後に見てください。
[ "LIVE WATER" のスライドショー]
【ERIC】はい、以上です。
《会場/拍手》
【ERIC】後で気になる写真集があれば、ぜひ手に取って...あまり考えずに買ってください。
写真を撮るのと一緒です。
撮りたいときに撮らなきゃダメじゃん?
同じように、買いたいときに買わないとダメ。
お金がない方は、どうにか村田先生から借りて...。笑
もしくはお金ができたときに、赤々舎のWebサイトからも注文できますので、
一冊でも多く買って頂けると、僕たちの作家生命が長くなります。
売れないと、自分がやっていることは無駄なんだって考えてしまい、
モチベーションが落ちてしまうんです。
それをどうにか応援してほしくて...。
だから今日買いたい人は、是非買って頂きたいです。
...以上で僕のトークを終わりにします。
《会場/拍手》
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百々新「対岸」
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【百 々】皆さん、こんばんは。
ERICが素直な気持ちで全部話してくれたけど、
写真家というのは、そういう...お金のことも含めて、
どうやって生きていくかを考えながらやっています。
「俺は本当に写真家なのか?」「どうやって生きていくんだ?」
って考えながら、写真をやる覚悟をするんです。
【百 々】僕が写真を始めたのは「自分の知らない世界を見たい」っていう想いから。
ERICと同じように、親元にいて、
「ここじゃない どこかに行きたい」という想いが積もっていったんです。
ご存知の通り、うちには強烈な写真家の親父がいますので、
自分が何かをやればやるほど、違いというか、
「自分はどうありたいか?」というのを考えさせられます。
で、「写真をやるからには、ここじゃないどこかへ」という想いから、
南港から2泊3日で行ける上海に通い始めました。
行き始めると、"ここ" じゃないから、見るものすべてが新鮮でおもしろい。
写真を始めたばかりは下手くそで、何を撮ったらいいかわかんなかったけど、
とにかく "ものを見る" 。
そして自分が生きている環境と違うところに "レンズを向ける" 。
怖いけど...興味があるものにレンズを向ける。
なかなか上手くいかなかったけれども、それを繰り返していくうちに、
「見たい」「写真を撮りたい」という気持ちがどんどん強くなってきて、
徐々に "自分" というものを発見していきました。
遠くの知らない場所で、知らない人に向かう...。
それは誰かに会いたかったり、どうしても撮りたい場所があるからではなく、
「今、僕が生きている中で何が違うんだろう?」
「世界はどうなっているんだろう?」という疑問から。
そういう不思議というか不可解なことを、これから順番に見ていきたいですね。
僕はシルクロードにずっと憧れがあって、いつかは撮りたいと思っています。
で、シルクロードの書物や写真は結構あるけれど、
シルクロードでぶち当たる世界一の湖・カスピ海の周りのことは、
あまり知られていないんですよね。ヨーグルトぐらいしか。
そういう経緯で、どんなやつがおるのか目撃しに行ったのが、この「対岸」です。
ここからは「対岸」のスライドを流しながら話しましょう。
今回は写真集の並びで流します。
【百 々】1番最初はトルクメニスタン。
独裁者がいて、ほぼ鎖国に近いことをしている国です。
この辺りには旧ソ連の国々とかイランがあります。
写真集にまとめる前に、何度か写真展をやりました。
1番最初はここの卒業生の有元伸也くんがやっている、
トーテムポール・フォトギャラリーで「Caspian Sea」というタイトルでやりました。
そのときはまだ2カ国しか行っていないときでしたね。
本当は一度にぐるーっと、一筆で回る勢いで行きたかったけれども、
なんせ旧ソ連の国々で、第三国人が国境を越えられないという問題があり、
何度も通わなければいけませんでした。
【百 々】 生きていくにはお金がいる。
だから自分がどうやって生きていくかを考えなければなりません。
僕は学校を卒業して、上海だけのスナップを撮っていましたが、
それだけでは生きていけないことを自覚しました。
で、生きていくには「技術がほしい」と思い、
写真の仕事をすれば、自分の世界のこと以外も知れるだろうと思って、
広告写真の仕事を始めました。
そうなるともう必死ですね。
「どうやったら思い通りの写真が撮れるか?」
「どうしたら思うようなことがやれるか?」とか。
まぁ自分が "撮れた" と納得しても、最初は仕事が来ないんですけどね...。
そしてそれをやるのが精一杯で、自分の写真が撮れなくて悶々とするんです。
うまくできなかったとしても撮りますよ。
でも写真が結実しないんですよね。
そういうときは、自分と、自分の今あるところから、距離を持って客観的に見てみる。
そして自分が不思議・不可解だと感じながらも、
「もっと知りたい」と思っている世界に飛び込んだとき、どういう風に見えるのか?
今の自分とその世界との違いを知りたい・目撃したい...と思いながら撮っています。
【百 々】ERICと同じく、僕も人が撮りたい。
人間に興味があって写真を始めたので、
「人を撮りたい!」っていう想いがすごく強いんです。
でもここは人が寄りつかない場所だから、全然いないんですよね。
だからといってがむしゃらに人に向かわず、この場所の気配みたいなものや、
人が写っていなくても、人を感じる写真が撮れたら...と思うようになっていきました。
【百 々】ここからはイランです。
写真集は国ごとに分かれた構成になっていますが、
それぞれの国の違いを見せたいわけではありません。
ひとつの海を囲んで違いがあるのは当たり前。
それを確認・認識するために、
差異をちゃんとさせたほうがいいだろうと思って分けました。
各国の扉のページには、国名と国旗が印刷されています。
国旗というのは国の文化や風習が表れていて、
日本はシンプルですけれど、この辺りの国は、
デザインや模様に、それぞれの国のアイデンティティみたいなものが詰まっています。
そういうのがおもしろい。
近頃の上海は、なんか街が整然としていてびっくりします。
昔は唾を吐きまくって歩いたり、ゴミをほりまくる人々がいる街だったのに、
めちゃくちゃきれいになっているんですよ。
それは "日本に近づいてきた" というよりは、
グローバルスタンダードというか、アメリカナイズされたというか...
「合理的で・きれいで・居心地が良い」という空間になってしまい、
僕が10年前に通っていた頃の、殺気や狂気、色気というものを
感じなくなってしまいました。
昔を知っているから、対比してそう思ってしまうんでしょうね。
そういう、どうしようもなく脈々と生きているものが、この辺には残っています。
でもこれはただ"取り残されている"だけではなく、
「自分たちのアイデンティティを守ろうとして、わざとやっているのでは?」
って思うところがあります。宗教観も含めてね。
イランはグリニッジの標準時間から30分ずらしているんです。
アメリカには憧れるところがあるけれども、
「アメリカのような国にはならない」「自分たちには守るべきものがある」と。
頑張って、そういうのをものすごく意識している地域だと感じました。
【百 々】どこに行くかは決めていません。
でもあてもなく歩くにしても、この辺は情報があんまりないので、
飛行機のマークがついている場所の航空コードを調べて、
そこまで行く飛行機のチケットを手配して飛んでいきます。
地図がないので、Googleマップの拡大率を上げて、
Photoshopでつなぎ合わせて手製の地図を作り、それを見ながら
「この道は多分ここだから、海沿いを歩けそうだな」って確かめながら歩いてみる。
あとは宿の前を通る乗り合いバスに乗り、
終点まで行ってから歩いて帰ってきたりもします。
そうやって自分がいる場所がどういうところかを確かめながら、
ちょっとずつ範囲を広げて撮っていくのです。
人を撮影するときは、声をかけて撮らせてもらったりもするけれど、
でも僕はすべての演出を捨てて、自分が空気みたいになって街の中を彷徨いたい。
そして相手が素の瞬間を目撃したい...。
そう思いながら写真を撮っています。
【百 々】ここは冬のロシアです。
"おしゃれは我慢から" ですね。笑
《会場/笑》
【百 々】ここまで撮り終えてから、姫野さんに一度写真を見てもらいました。
でもこれだとあまりにも寂しすぎるし、もうちょっと撮りたいと思っていた。
生きていくにはつらいことばかりではなく、そこには希望があるだろう、と。
そういう場所も撮りたいなと思い、夏にもう一度ロシアに行きました。
冬に行った時の気温は-16℃ぐらい。
それだったらきっと夏は、青々とした北海道のような、
湿潤でさわやかなところだろうと思いながら、去年の7月に行きました。
で、行ってみたらそこは灼熱。42℃...。
ロシアは共産圏だけど、仕事も少ないようで若者が溢れているんです。
で、みんな結構ジャンキーというか酒飲みで、
人が通ると「シガレット (たばこ持ってるか?)」ってせがむんですよ。
ロシア人の酔っぱらいに絡まれると本当に怖い。
何度か走って逃げたことがあります。
【百 々】写真は旦那さんです。
ここはロシアでもめっちゃ外れの街。
どうやって家に入れてもらったかというと、
僕はロシア語が喋れないから大阪弁で。おばちゃんはロシア語で喋る。
《会場/笑》
【百 々】不思議とわかるんですよ。どこに行ってもそんな感じです。
別にあんまり困ったことはないですかね。
...以上が「対岸」でした。
最後にちょっとだけ。最近撮っているものを見てもらいたい。
ここ数年、東京の湾岸地域と、山口県の祝島っていう島をずっと撮っています。
祝島は日本の縮図みたいな島。
4年に1度、"神舞" (かんまい) っていう祭をやるんですけど、
過疎がめちゃくちゃ進んでいるし、島民の高齢化に伴って、
島の人たちだけでは祭が満足にできない状態になりつつあるんです。
今年がその祭の年で、僕は縁があって過去2回ほど参加しています。
そんな祝島と東京を混ぜ合わせたのが、こちらです。
【百 々】これはまだまだ。もっと撮りたい。
「今の世の中とどう違うか?」を踏まえた上で撮っていますが、
まだこれからの写真です。
...以上です。どうもありがとうございました。
《会場/拍手》
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(続く) 後編はこちらです。