沖縄の石川竜一の写真集をつくろうと決めて、すでに始まっているのだが、顔を合わせることはままならない。
昨日の朝、ふと決めたのだ。「これから写真集が出来上がるまで毎日、日に一度は石川竜一と声を交わそう」と。
昨日、スカイプ。今日、スカイプ。それは新作について話すという、かねてからの予定でもあったが、これからはそういうことでもない。長い時間を積み上げるなかで、怒る日も落ち込む日もあるだろうが、日に一度は声を交わそう。
声は言葉になるが、声そのものでもある。
私がふっとそう決めたのは、ひとつには、たぶん畏れの感覚のためだろう。
石川竜一の写真に向き合うことは、内臓的で、内臓的で、欲望しながら畏れが潜む。
沖縄、についてはどうなのだろうか。
オサム・ジェームス・中川の『GAMA CAVES』、来年刊行予定の東松照明『新編 太陽の鉛筆』、そして石川竜一。
私は相変わらず、どころか一層、何もわかってはいないのだ。
声を交わすということは、毎日毎日、そういうことに突き当たることかもしれないが、仮にそうであるとしても。
昨日、私のこの突飛な提案に、彼は「よろしくお願いします」と返した。
(ひ)