今夜は雪になりそう。雪が降る日はほんとうはあたたかい、というような短歌があって、ふらっと思い出す。
これは、HPがリニューアルしてから私が書く初めてのブログです。
リニューアルに当たって大きな力を貸してくださった萩原綾子さんと中島雄太さんに心からの感謝を伝えたいです。私自身がうといというのが非常によくないことですが、お二人と話していると、少しずつこの画面に近づいていけそうで嬉しい瞬間があります。
ここ4週間ほど、朝日新聞の「仕事力」という連載に、談を書いてもらっていた。およそ私が出るにはふさわしくないコーナーで固辞したものの、時には変り種もということだったと思う。
それに載せてもらって良かったと思える出来事があった。 新聞を見たという女性から、亡くなった父親が遺した写真を見てほしいという電話があって、先週その方たちがいらしたのだ。その方建ち、、、75歳と73歳の姉妹で静岡からだったから驚いた。お二人が引っ張ってこられたカートには、何冊ものアルバムと大判のプリントが入っていた。すべて30半ばにも届かない若さで亡くなった、彼女たちの父親が撮ったもの。いま目の前で微笑んでおられるご婦人が、産湯をつかっていたり、おかっぱで母親と手をつないでいたりする。あまりに若く亡くなられたので、彼女たちに父親の記憶は薄い。ただ、文章と写真に意欲をもって働いておられたこと、これを撮ったのは日本に最初にきたライカ3台のうちの1台らしいこと、、、などを断片的に話してくださった。
こんなものをお見せしてねぇ、、としきりにお二人は恐縮された。ただ自分たちが死んだらそのまま捨てられてしまうものだし、先日の新聞を見て、なぜかすぐ電話してしまったんですよ。自分でもびっくりしました、と。お電話されたのはお姉さんの方だった。 「消極的な人生の中で、唯一の積極だったかもしれません」 と柔らかく笑ってらした。
だから私も思い切って言えたのだと思う。「もし、この先、散り散りになりそうなときがきたら、私に預けてもらえませんか」 それはいま思い返しても途方も無い申し出で身が縮む気がするけれども、その家族写真の、目が濯がれるような光が、思わずそう口走らせたのだと思う。
いま置いていく、というお二人を押しとどめて、また遥々帰っていただいた。お土産の安倍川もちとわさび漬けが残された。 自分に何ができるのだろう。ただもう少しだけでも、そのお父さんの話を聞きたくて、アルバムの写真の時間を見ていたかった。春になったら、今度は私が訪ねたいと電話した。