2010年の赤々舎が抱える大事な企画として、標記の本がある。
原題は「Rwandan Children Born of Rape」、アメリカのアパチャー社が刊行したもので、著者はジョナサン・トーゴヴニク。彼による写真とインタビューで構成されている。
この本に出会い、日本語版の企画と翻訳を手がけてくれているのが、竹内万里子さん。
日本語版デザインは町口景(マッチアンドカンパニー)。
いま、データ入稿する前のまさに佳境の時期に当たる。佳境といっても、これはどういう時間なのだろうか? たとえば私にとって、どういう時間かを書こうとすると、それは一言で言えるものではない。
ジョナサンが綴った「はじめに」から、今日は少しだけ引用してみたい。
母親が「私はこの子を愛していません」などと、いったいどうしたら言えるのか、なかなか理解でき るものではない。あるインタビューで、そう言った母親は私の手に自分の手を重ねてこう続けた。「あなたがお訊ねになっていることはわかっています。質問の内容もよく理解しています。母親がこんなふうに言うなんてひどいということもわかっています。しかしそれがいま、私が感じていることなんです。いつかきっと、変わる日が来るでしょうが」