佐伯くんのブログを読んでたら、こんな言葉に会いました。佐伯くん、勝手に引っ張らせてください。大阪ニコンサロンでの、「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」展は6日までです。
「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」に思うこと
竹内万里子さんは写真評論家として有名な方だが、海外の写真を多く日本に紹介する翻訳家でもある。2008年の欧州最大の写真アートフェア「パリフォト」では日本特集のゲストキュレーターを務めた。
海外の写真と触れ合うなかで、ジョナサン・トーゴヴニクの『ルワンダ~』を知った彼女は、赤々舎の姫野さんに日本語版を出版したいと申し出た。そして町口景さんによるデザインとともに昨年秋、赤々舎より刊行された。
万里子さん、姫野さん、景さんからこの写真集に対する熱い思いを聞かされていたぼくは、大阪展の搬入を手伝うことでやっとその現物を目の前にして、正直、怖じけづいた。
じっとカメラを見据える彼女達。あまりにも真っ直ぐな子供達の目。何かこちらに訴えることを拒絶しているかのような母親達の目。実際ぼくらが彼女達の事を『わかる』のは不可能なことだと思う。
万里子さんの後書きにはこう書いてある。
『「見れば分かる」と思い上がるのではなく「見てもわからない」ということを引き受けながら、丁寧に写真と言葉を突き合わせ、その間から現実の底知れぬ闇を浮かび上がらせようとする真摯な姿勢が、ここにはある。』
搬入後、ぼくが万里子さん達とのんびり呑みながら話していて忘れられない事がある。
それは『この展覧会場に絶対に募金箱を置かない』ということ。
京都、東京で巡回しているこの展示、「なぜ募金箱を置かないの?」と何度か質問されたという。万里子さんは『この写真展には「落ち」がない』と言っていた。展示を見たら「なんて事だ、こんな事がアフリカで起きていたのか」というような気持ちに必ずなる。その気持ちを募金箱に入れてしまうのではなく、そのまま日々の生活に持って帰ってほしいのだ。
同情では追いつかない。その苦しみは想像もつかない。でも、無力だからといって諦める訳にはいかない。何年かかってもいいから、なにか自分にも出来る事を日々の生活に見い出していかなければいけない。
今回の震災に対してもそう思います。