【After 3・11】産經新聞に黒田光一が寄稿。

これまで、数回続いてきた産經新聞文化面の【After 3・11】ですが、
今回は写真集『弾道学』の黒田光一さんが寄稿されました。


いま、本当に欲しいものは


自分たちはそれを欲しいと思わされてきたのか、いや、確かに欲しがったのだろう。
耳当たりのいいコピーで飾られた強大なエネルギー源と、
隅々まで明るく照らされた部屋で安穏を消費し続けられる世界を。
そのシステムをいまだ完全には手放せずにいる。

3・11から1週間が過ぎた頃、気付けば、まったく写真を撮っていなかった。いや、忘れていた。
それはあまりに個人的な些事(さじ)にすぎない。
ただ、その空白に何か焦りのようなものが込み上げてきて、
そこからしばらく毎日、多くの写真を撮った。
無理に、嘘でもいいから、と自分の肩を押した。やみくもに歩いた。

大いなる貧しさを内攻させた東京の表面をなぞりながら、
4月初め、当たり前の肉体感覚は取り戻したつもりになっていた。
さまざまな 情報が飛び交う中、胆力はあるつもりでいた。
被災しなかった人間がとるべきであろう態度を保って、
空気やイメージには流されない自分がいると構えていた。

だが、気付かない内にそんな心持ちは擦り減る。
写真を撮る根拠さえ見失いかけた5月初め、相馬を歩く。
崩れた漁港。人に視線を向けるとは思っていなかった。
しかし不調、乱調の中でこそ人はよく生きるのかもしれない。
自分には"撮らない"という選択はないのだと腑に落ちる。
そしていま、ひたひたとやってく るさらなる虚(うつ)ろさが、この足先を浸しかけている。
人間はいとも簡単に目に見えないものに侵食されていく。
自分にとって"写真"は口実だ。足を浸し切らずに生きのびるための。

僕らは、曖昧で手に取りにくいもの、見えづらいもの、
闇を排除し続けてきた果てに、いま、漏れ出る見えない"飛沫(ひまつ)"に付きまとわれている。
それは、あるのかもしれず、ないのかもしれず、ゆえにどこまでも人をおびえさせる。
いま、本当に欲しいものは何なのか。

(産經新聞のWEBでもご覧になれます。)
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110622/dst11062207500007-n1.htm

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