【After 3・11】産經新聞に山内悠が寄稿。

第5回目のシリーズとなる産經新聞の【After 3・11】に山内悠が寄稿しました。

見えないものと向き合う


 僕は島へ旅立つ予定だった。これまで4年ほど、ほとんどの時間を山の中か島で過ごしてきた。
文明を離れて、人の営みの原点と向き合うことで、みえてくる世界がある。
震災が起きたのは、いよいよ出発という日の3日前だった。

 原発の建屋が爆発する映像をテレビで見て、僕は旅立つのをやめた。
遠い島の生活ではなく、この時代、この場所と向き合う。僕の意識は、そちらを選んだ。
文明の果てにたどりついたこの世界のことを考えるために、今まさにここにいる、とさえ思えた。

 山や島で生活していると、僕らは生かされている、という認識が強くなってくる。
畏(おそ)れと感謝の中で、写真を撮るというよりは、写真を与えられている気になる。
それは、目には見えない大いなる存在と向き合う行為だった。

 現代社会は、生きる営みをどんどん進歩させながら、
そういう大いなる存在への感謝や畏れを少しずつ捨ててきた。
そしていま、自らが新たにつくりだした脅威に翻弄され、おびえている。
皮肉なことに、こちらも存在することは確かなのに、目には見えない。

 震災からちょうど3カ月目に、福島県飯舘村を訪れた。
すでに大半の人が避難しているからか、人の気配はあまりしない。
山と森と泉と大地に降り注ぐ太陽の光。新緑のかおりを心地よく感じた。
これまで山や島で向き合ってきたような景色が、ここにもあった。

 しかし、村を歩いていると、ふとした瞬間に、恐怖に襲われ、足が止まる。
見えないものと向き合うというのは、心をのぞき込む行為なのかもしれない。
その日、出会った男性が持っていた線量計の値は、毎時4マイクロシーベルトを示していた。

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