【After 3・11】産經新聞に鷲尾和彦が寄稿。

本日9月28日の産經新聞朝刊の文化面【After 3・11】のコーナーに、写真集『極東ホテル』の鷲尾和彦さんが寄稿しました。
鷲尾さんは、先月行われた東北スライドショーツアーの道中で撮影した写真を載せて、そしてそこでの体験を綴られています。

ぜひお手に取ってご覧ください。

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©Kazuhiko Washio
 

海の向こうから漂いだした濃い霧はあっという間に砂浜を覆い尽くした。これが夏の三陸海岸特有の「海霧」なのだろうか。
視界が不明瞭になると、場所の感覚だけでなく時間の感覚まで見失いそうになる。
どうやら波打ち際を二時間近くも歩き続けたようだ。今はもう県境を越えてしまったかもしれない。

砂浜はさらさらとして柔らかった。この数ヶ月の間、ただ静かに波と風とが砂浜を洗い、
新しい砂や貝殻をゆっくりと運び続けたのだろう。不思議なくらい優しい色に感じた。
何故だろう、妙に優しい色だった。

しばらくすると、霧の向こうの波打ち際に小さな子どもがひとり立っているのが見えた。
しかし近づいて行くと、それは砂浜に突き刺さった一本の太い松の枝だった。

濃い霧の中、ひとけがない砂浜で僕は周りとの様々なつながりを見失ってしまっていた。どうしようもなく寂しかった。
ふと足下を見る。柔らかい砂の上にくっきりと僕の足跡だけが残っていた。
それはまるで子供が描きなぐった壁の落書きのようだった。
的確な言葉も、伝えるべき相手も見つからず、ただ「ここにいる」というためだけにかろうじて存在する、あの不器用な落書き。


ここに居て、何を撮り、何を見ることが出来るというのだろう。
この沈黙を感じることの他に、静寂の音にじっと耳を澄ます以外に。
僕は目の前の折れた木の枝と同じだった。

あれからもう二ヶ月が経とうとしている。しかし、あの砂浜に立ち尽くした日のことが忘れられない。
あの感覚は僕の中の深いところに入り込んで立ち去りそうにない。
しかし、それでいいと思う。その感覚を手放してはいけない。決して手放してはいけない。
これから迎える日々のために。

(鷲尾和彦)

*写真キャプション
日付; 2011年8月3日 
場所: 福島県相馬郡新地町