写真集『夜明け』の山内悠さんが10月26日産經新聞朝刊の「After 3・11」のコーナーに寄稿しました。
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宇宙の構成要素として...
夜。船は太平洋沖を北上している。僕は北海道へ向かっていた。
360度、見渡す限り水平線が続く。
やがて、船を照らしていた満月が沈むと、僕は無数の星たちに包まれた。
甲板に立って見上げると、まるで宇宙に浮いているようだった。それはただの比喩ではなく、
地球というのが宇宙空間をめぐる惑星であるということが、とてもよく理解できるひとときだった。
しばらくすると星は位置を変え、風の向きも波の高さも変わっていた。
水平線のかなたから闇が溶け出し、夜明けが訪れようとしている。すべてが廻(まわ)り続け、動き続けている。
月が沈み、太陽が昇る。この光景はおそらく何万年も変わることなく続いている。
僕らはそのすべての一部として誕生し、存在しているということを、
いつの間にか忘れてしまっていたのではないだろうか。
山の上や飛行機から景色を見下ろしたとき、街が瘡蓋(かさぶた)のように見えてしまうことがある。
そしてこの地球が大きな生きものとして思えてくるのだ。
現在、人間が築いたものは、どんな大都市であれ、
ほんのわずかな期間だけ、その表層に存在しているにすぎないだろう。
もともとのスケールの違いからそれは仕方がなく思えてくる。
地球規模の変動のなかでは、千年に一度の出来事も、それほど特別なことではないだろう。
僕らにとってはもちろん、日々の小さな営みこそ大切だが、
この地球の一部として、この宇宙の構成要素として、いま、人間はどのように在るべきなのか。
そんなことも問われているような気がする。
東日本大震災の震源地は、この先の、それほど遠くない場所にあるはずだ。
船はさらに北上を続ける。そして大海原は、ひたすらにおだやかだった。
山内悠
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宇宙の構成要素として...
夜。船は太平洋沖を北上している。僕は北海道へ向かっていた。
360度、見渡す限り水平線が続く。
やがて、船を照らしていた満月が沈むと、僕は無数の星たちに包まれた。
甲板に立って見上げると、まるで宇宙に浮いているようだった。それはただの比喩ではなく、
地球というのが宇宙空間をめぐる惑星であるということが、とてもよく理解できるひとときだった。
しばらくすると星は位置を変え、風の向きも波の高さも変わっていた。
水平線のかなたから闇が溶け出し、夜明けが訪れようとしている。すべてが廻(まわ)り続け、動き続けている。
月が沈み、太陽が昇る。この光景はおそらく何万年も変わることなく続いている。
僕らはそのすべての一部として誕生し、存在しているということを、
いつの間にか忘れてしまっていたのではないだろうか。
山の上や飛行機から景色を見下ろしたとき、街が瘡蓋(かさぶた)のように見えてしまうことがある。
そしてこの地球が大きな生きものとして思えてくるのだ。
現在、人間が築いたものは、どんな大都市であれ、
ほんのわずかな期間だけ、その表層に存在しているにすぎないだろう。
もともとのスケールの違いからそれは仕方がなく思えてくる。
地球規模の変動のなかでは、千年に一度の出来事も、それほど特別なことではないだろう。
僕らにとってはもちろん、日々の小さな営みこそ大切だが、
この地球の一部として、この宇宙の構成要素として、いま、人間はどのように在るべきなのか。
そんなことも問われているような気がする。
東日本大震災の震源地は、この先の、それほど遠くない場所にあるはずだ。
船はさらに北上を続ける。そして大海原は、ひたすらにおだやかだった。
山内悠