【After 3・11】産經新聞に山内悠が寄稿。

本日12月21日付けの産經新聞朝刊の文化面「After 3・11」のコーナーに、
写真集『夜明け』の山内悠が写真と文章を寄稿しました。


「境界線」に隠されたもの

師走に入り、僕は茨城から原発までの海岸線を北上していた。

冬の海は寒々しく、誰もいな い海岸に打ち寄せる波の音が、大きく響く。その傍らには瓦礫(がれき)が撤去されたあとに、家屋の基礎だけが残る更地が静かに広がっている。ふと目をやるとその中にぽつんと神社が残っていた。鳥居から先が無傷と言ってもいいくらいの状態だ。その後も北上を続け、同じように残った神社を幾つもみることができた。なぜ残ったのか、僕はそれを「偶然」という言葉で片付けてはいけないと感じた。聖界と俗界を、鳥居という境界線にハッキリと見せつけられたような気が したからだ。

やがて、北上を続けると警戒区域を示す立ち入り禁止の看板に達した。ここにも境界線があった。「境界線」、それはそのはざまを自覚することにより、世界の在り方を示す目印になる。

人は、なにかを何かと分け隔てることで認識しようとする。現にこの社会はすべてが境界線で成り立っているようにも感じられる。そしていま、震災によって新たな境界線がうまれた。現実の捉え方はいま、社会の中で、個人の意識の中で、ますます細分化しているのではないか。そして、行く先など見えないまま、時代は進んで行く。

そんなことを思いながら振り返ると、そこには海が広がっていた。実は新たな「境界線」をもたらしたのは海から押し寄せた境界線であったということに気付く。そして、母なる海は境界線など持たない、もっと大きな存在であるということにも。僕たちは細分化によってさまざまな世界を認識してきた。しかしその認識を覆す思考が、どこかの「境界線」に隠されているかもしれない。

(山内悠)

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© Yu Yamauchi