2月4日(土)、浅草浪花家で開催されている齋藤陽道「感動」の展示に合わせて
ワークショップ「見る人になるためのひとつの方法として」を開催しました。
多くの発見があるワークショップとなりました。ワークショップの様子を少しご報告させて頂きます。
今回のワークショップは、
参加者のみなさんに耳栓をしていただき、普段聴こえている音を抑えて撮影にでるというものでした。
耳栓は、さすがに全ての音を遮断することは出来ませんでしたが
トラックが通る音など大きな音はすこし聞こえる程度で、隣で歩いている足音などは聞こえませんでした。
撮影に出る前のミーティング
撮影前ミーティングでは、参加者の皆さんが今まで撮影してきた写真を見せ合いました。
人物を撮る人、街角を撮る人、様々な方が参加しています。
また、コミュニケーション手段としてノートが配られ、筆談を通してやり取りを行いました。
筆談も多くの人にとって初めての取り組み。
浅草の街へ
みなさんが(自分も含めて)耳栓を耳から外したときの表情、漏れた声、とても印象的でした。
普段何気なく過ごしている毎日であっても、耳に頼っていたものがかなり大きかったこと、
耳から多くの情報を得ていたことなど、外した一瞬で気づくことがたくさんありました。
最後は締めのらーめん。(齋藤さんは大のらーめん好き)
<参加者の声(ごく一部ですが、、、)>
やはり視界がぐっと広くくっきり見えました。
自分の視覚、使いきっていなかったんだなぁと実感しました。
「あ。こんなにも見えるんだ!」と同時に「今まできちんとみていなくてごめんなさいーーー!」といろいろな、
みえるものや人に対して謙虚な気持ちになりました。
5秒目を瞑って、ゆっくーり目を開けてもらう方法で家族も撮ってみました。
写真に写っている家族がしっかりしているのに柔らかい感じがして、家族には「ほーーーーー。」と言われました。
好感触。。。だったようです。
ーー
頭で理解するより、
身体が理解してくれているだろうな、というワークショップだったと思います。
具体的に何を得られたのかはわかりませんが、
今回体感したことを身体が覚えていて、それが何か、今後に役立つような気がします。
音がなくなると集中力がアップして、
目のフォーカスが常に合っている状態というか、
ぐーっと穴があくように浅草の街を見ていました。
特に私は光に敏感になって、
光の当たっている場所を見るのではなくて、
光の当たる場所の、手前の、空気の中にある光を見るような(?)感じで。
それは、世界と自分の距離が近くなっていくような感覚でした。
人間の五感(+第六感)は揃っているとさぼりがちで、
意識すれば、もっと深く使えるようになるのではと感じました。
今回体感したことを思い出して、また写真を撮っていきたいです。
ーー
少しだけ、他の一般のお客さんに気を使ったような・・
いや、実際には話し声や大きな音は出していないので、
なんら気負うことは無いのですが。不思議な感覚でした。
聴覚を抑えた時点で、周囲に張るレーダーのような感覚が動き出したからなのか・・?
ーー
楽しい、新鮮だった、では、足りないぐらいの体験でした。
「見る」ことの重要さ、本当の「見る」への道しるべ・・
そう、まだまだ齋藤さんの「見る」授業は終わってない感じがします。
そして、私の中にはこのWSの衝撃が、まだまだ渦巻いています。
まだ、まとまってないのだと思います。
ーー
ワークショップ「見る人になるためのひとつの方法として」を開催しました。
多くの発見があるワークショップとなりました。ワークショップの様子を少しご報告させて頂きます。
今回のワークショップは、
参加者のみなさんに耳栓をしていただき、普段聴こえている音を抑えて撮影にでるというものでした。
耳栓は、さすがに全ての音を遮断することは出来ませんでしたが
トラックが通る音など大きな音はすこし聞こえる程度で、隣で歩いている足音などは聞こえませんでした。
撮影に出る前のミーティング
撮影前ミーティングでは、参加者の皆さんが今まで撮影してきた写真を見せ合いました。
人物を撮る人、街角を撮る人、様々な方が参加しています。
また、コミュニケーション手段としてノートが配られ、筆談を通してやり取りを行いました。
筆談も多くの人にとって初めての取り組み。
浅草の街へ
みなさんが(自分も含めて)耳栓を耳から外したときの表情、漏れた声、とても印象的でした。
普段何気なく過ごしている毎日であっても、耳に頼っていたものがかなり大きかったこと、
耳から多くの情報を得ていたことなど、外した一瞬で気づくことがたくさんありました。
最後は締めのらーめん。(齋藤さんは大のらーめん好き)
<参加者の声(ごく一部ですが、、、)>
やはり視界がぐっと広くくっきり見えました。
自分の視覚、使いきっていなかったんだなぁと実感しました。
「あ。こんなにも見えるんだ!」と同時に「今まできちんとみていなくてごめんなさいーーー!」といろいろな、
みえるものや人に対して謙虚な気持ちになりました。
5秒目を瞑って、ゆっくーり目を開けてもらう方法で家族も撮ってみました。
写真に写っている家族がしっかりしているのに柔らかい感じがして、家族には「ほーーーーー。」と言われました。
好感触。。。だったようです。
ーー
頭で理解するより、
身体が理解してくれているだろうな、というワークショップだったと思います。
具体的に何を得られたのかはわかりませんが、
今回体感したことを身体が覚えていて、それが何か、今後に役立つような気がします。
音がなくなると集中力がアップして、
目のフォーカスが常に合っている状態というか、
ぐーっと穴があくように浅草の街を見ていました。
特に私は光に敏感になって、
光の当たっている場所を見るのではなくて、
光の当たる場所の、手前の、空気の中にある光を見るような(?)感じで。
それは、世界と自分の距離が近くなっていくような感覚でした。
人間の五感(+第六感)は揃っているとさぼりがちで、
意識すれば、もっと深く使えるようになるのではと感じました。
今回体感したことを思い出して、また写真を撮っていきたいです。
ーー
少しだけ、他の一般のお客さんに気を使ったような・・
いや、実際には話し声や大きな音は出していないので、
なんら気負うことは無いのですが。不思議な感覚でした。
聴覚を抑えた時点で、周囲に張るレーダーのような感覚が動き出したからなのか・・?
ーー
楽しい、新鮮だった、では、足りないぐらいの体験でした。
「見る」ことの重要さ、本当の「見る」への道しるべ・・
そう、まだまだ齋藤さんの「見る」授業は終わってない感じがします。
そして、私の中にはこのWSの衝撃が、まだまだ渦巻いています。
まだ、まとまってないのだと思います。
ーー