こんばんは。姫野です。
土屋鞄というヌメ革のバッグをつくる製作所をご存知ですか? 今回お声がけいただいて、そこのHPの「ものづくりの現場」というコーナーでインタビューしていただきました。
今回のインタビューは私が話した言葉だけではなく、インタビュアーの方がそのとき抱いた思いも盛り込んでくださっていて、それが新鮮でありがたかったです。写真集をつくる実際的なことではなく、なぜつくろうとするのか、その源をやわらかく辿ってくださったように思います。
その一部です。
"写真集をつくる一連の流れで、姫野さんがいちばん大事な瞬間だと思うところは、「一対一で向かって話すとき」だという。
できるだけ透明な感じになって、そのひとや写真のことをできるだけ深くみたい。「透明な感じ」という表現は、姫野さんとことばを交わすとじんわりとわかる。なにもない透明ではなくて、包み込まれるような透明。
「自分のことを、穴みたいって思うことがあるんです。どう考えても突起しているというよりは、中が空っぽの穴。空洞というか。それが、私のあり方としてはとても大事だと思っています」
そこを通りかかったひとは、ゴミを捨てたりのぞき込んだりするかもしれない。なかには、自分の秘密や何かをささやいたり、こぼしていくかもしれない。雨が降ったら、水たまりになるかもしれない。穴だから、いくらでも入る。
一対一で向かいあう始まりは大事だから、はじめて会ったときに、できるだけ穴として透明に向かいあえるようにしたい。"
自分としては、舟越桂さんのことを話したくだりが好きです。この作家に20代で出会えたことは得難いことでしたし、いまも私の見上げる星座のように感じています。写真が、、、ということではなく、私は人間について少しでも触れていきたかったのだとあらためて思います。
いささか照れくさいですが、読んでいただけたら。
土屋鞄の革、剥いでなめされたそれに触れたとき、雨でもないのに、土砂降りの中にいるような気がしました。音や記憶が遠のきながら、すべて指先に脈打つような質感でした。またお会いしたいです。