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本日4月9日(土)より、澁谷征司写真展「FLAME」が始まりました。明日10日(日)は
12時〜18時まで開いております。

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この本に寄せるエッセイをお願いしていた長島さんから、貴重な言葉が届きました。
いま、できるだけたくさんの方にこの言葉を読んでいただきたいと思い、ここにも掲載させていただきます。



「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」に寄せて    長島有里枝(写真家)

 この本へのコメントを半分ぐらい書き終わったところで東北関東大震災が起き、それに起因して福島原発の事故が起きた。しばらく仕事は手につかなかったが、やることは山ほどあった。膨大な量の情報を収集し、直感を研ぎ澄まし、脳をフル回転させながらそれらを選り分け、必要なものをリストアップし、淡々とスーツケースに詰め込む。最初の数日は交通機関が止まり、仕事をしない言い訳もできたが、すぐに東京は放射能の危険に怯えながらも通常の生活を送ることに決めた。わたしなんて、通常の生活に戻ろうと腹を決めたのはつい四、五日前のことなのに。そして再びコメントに取りかかったが、まるで別の人が書いたもののように思えるし、続く言葉が出てこない。そこで思い切って古いものはゴミ箱にドラッグし、新しい原稿を書くことにした。

 わたしはわたしの正しいと信じることに従って生きたい。現代社会において、他人に重大な危害を与える原因にならない限り、この自由は守られている。今回の原発事故に関しては、メディア、電力会社、学者、そして政府が正しいと思うことと自分のそれは、初めから違っていたが、わたしは自分の判断が間違えているとは思わなかった。他者と考え方の相違がある場合、両者がお互いの意見を尊重し、認め合うのが社会の流儀だと思っていた。けれども実際は違っている。世の中の主流あるいは権力を司る集団と対立した考えを持つ自分を信じることには、思った以上の困難が伴い、わたしは自分の考えを様々な形で否定された気がしたし、自己嫌悪や不安に陥らざるを得なかった。

  一夜にして、世界がすっかり変わってしまうなんていうことはないと思っていた。地震の前、わたしはルワンダの女性たちと自分の共通点を、女性であることに集約して文章を書いていた。たとえ彼女たちの壮絶な経験を理解することができなくても、同じ女性という立場から共感することは可能だと考えたのだ。例えば、彼女たちの何人かが語っていたように「もし子供が父親の性質を受け継いでしまったら」という不安は、離婚したわたしのものでもある、なんていうことを書いていた。そうしながら心のどこかでは、彼女たちに起きたようなことは自分の身に起きなかったし、これからも決して起きないと「知っていた」。死や、決定的な傷を負うような経験を、先進国の日本に生まれ育ったわたしがする日は決してこないだろうと、何の根拠もなく、漠然と思っていた。彼女たちに対し、自分は強者であり彼女たちは弱者であるというような、何か非常に気まずい優劣関係を少なからず意識していた。

 この三週間で、その気持ちはゆっくりだが完璧に打ち壊された。自分の外側から暴力的な方法で命がもぎ取られる状態が、初めて具体的に想像できたのだ。なぜ社会がそのような状態に陥ってしまったのかを考える余裕はなく、ただ、どうすれば最悪の事態を避けれるのかを考える数日を過ごした。手だてを知るために、自分は何を信じるのかを一から洗い出し、大きな力にコントロールされそうな意志を立て直し、本当の考えを隠さなくてはならない圧力に耐えた。翻弄され、悩み、敵なのか見方なのかと探りながら人と話し、次の行動を瞬時かつ直感で判断しなくてはならなかった。じっくり考える時間はなかった。そして、二週間半経ってようやくひとつの指針に辿り着いた。

 その指針とは、なによりも命を優先するというものだった。「命」と言うとき、わたしはまず自然と我が息子のことを思った。いままでずっと、わたしのいるところが彼の居場所になり、わたしの食べるものが彼の体をつくってきた。責任はすべて親である人間の上にある。それはときに致命的な重荷だが、同時に、常にわたしの生きるという活動を根本から支えてもきた。 

 不測の事態が起き、緊急の判断を要するときでも人は、その一瞬前までの生活を捨てて行動することを躊躇する。目に見えない放射能(=存在しないかもしれない悪)を怖れて、子供にマスクをさせたり、外遊びを禁止したり、雨の日に学校を休ませて自宅待機したり、ひいては遠いところへ避難したりする必要が本当にあるのだろうか。わたしの心は「ある」と言い、世間は「ない」と言う。わたしが社会を信じないとき、そこには制裁が待っている。「女はすぐに大騒ぎする」「経済を回していくことこそが重要なのに、それを放棄して逃げるのはバカだ」「早く学校に来れるといいね」「発表会の振り付けはちゃんと覚えてくださいね」。時間がなく、どうしようもなくどっぷりと渦中に飲み込まれているとき、これらの言葉がわたしを責め、自己嫌悪に陥らせる。彼らの言っていることは、「以前」の生活においては正論だからだ。さらにそこに、「女」に貼られたレッテルからくるわたし自身の思い込みや劣等感が加担する。女であるわたしは感情的なのかもしれないし、論理的でもないかもしれない。神経質さやこだわりの強さから子供をコントロールし、大切な時間を奪っているのかもしれない。あるいは自己中心的なのかもしれないし、衝動的なのかもしれない。  しかしわたしたちはいま、重大なパラダイムシフトが起きたということに気付かなくてはならない。東京在住のわたしにとっては、原発の事故こそがそれである。いままでの価値観が通用しない世界がすでに到来し、まるで手のひらを返すように、一瞬でわたしを取り巻く世界の価値観を変え、いまも持続している。

 このパラダイムシフトの経験は、写真集にうつるルワンダの女性たちに、わたしをより近く引き寄せた。すでにわたしの目線は、彼女たちのそれとほぼ同じ高さに位置しているように思える。彼女たちに何をしてあげられるのかという少々傲慢な、けれども実際はそれが妥当だと思えた感情が変わり、いまは彼女たちのまなざしが何処を見つめているのか、その行方を教えて欲しいと思う。わたしのしていることが正しいのかを、彼女たちが知っているような気がしながら、もう一度ページをめくる。

 なぜ、彼女たちが自分の子供を産み、育てることにしたのか。その選択のもとには強い風当たりがあり、大きな差別があるのにもかかわらず。彼女たちの多くは、生まれてきた子を愛していると言うが、少なくない幾人かは愛せないと言う。愛しても、愛さなくても、子供を引き受けているという事実に変わりはなく、わたしにはそのことがより重要に思える。なぜなら、自分の気持ちをどう語るかということはあくまで言語の問題であり、どのような表現を選んだとしても、自分の中に渦巻く大きな葛藤を完全に表現することは所詮できないからだ。自分の過酷な過去を乗り超えるために子供と暮らす、あるいは直視できないために子供と暮らせない、そのいずれであっても、新しい命を引き受けるというその決断こそ、誰かに発明された愛という言葉が意味するものを遥かに凌ぐ何かを物語ってはいないだろうか。彼女たちは、起きてしまったことの過ちを自分で引き受けながら、それを子供たちには引き継がないことを強く望んでいる。子供と暮らさないという選択肢でさえ、そこに起因した行動にみえる。彼女たち一人一人の生き方がいま、わたしの新しい問題を自分がこれからどう引き受けるのかを考えるときの支えになっていることはまぎれもない事実だ。女性、母、社会的弱者--立場に共感できさえすれば、括り方は何でもいい―こそがぶつかる困難や示せる生き方があり、それを知り、やり遂げるためにわたしは存在すると思いたい。事実、この世の中には変えなければいけないことがあり、自分のしなくてはならないことがある。

"AKAAKA PHOTOGRAPH 3" として、標記の展示を開催致します。

"AKAAKA PHOTOGRAPH" は、私たち、スペースAKAAKAが企画する展示のなかで、
写真集のリリースとは連動せず、ある写真家の動いているいまを克明に反映するものを
指しております。これまでに、「佐伯慎亮+3D」、「黒田光一写真展 峠」と回を重ね、
今回が3回目の展示となります。

写真の本質と可能性を考え、写真を撮る、見せる、という営みを見つめるために、
ある過程や断面にあるものをも晒しながら、展示を行いたいと考えています。
見る人との有形無形のやりとりから、写真が動いていくことを願い、イベント等も
冒険的に企画できればと思います。
今後ともご注目いただきますよう、よろしくお願い申し上げます。



澁谷征司写真展「FLAME」



2011年4月9日(土)〜4月28日(木)

OPEN 12:00~18:00
CLOSE 日、月(日曜日は開廊する場合がございます) 

●オープニングレセプションは行いません。
●会期中、2回のトークイベントを予定しております。詳細は追ってご案内致します。



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4月2日(日)、朝日新聞朝刊の読書面「おやじのせなか」コーナーに、浅田政志の記事が掲載されました。

コーナーのタイトル通り、お父様についてのインタビュー記事です。

どうして、写真集「浅田家」や「NEW LIFE」が生まれてきたのか
どうして、家族をテーマに写真を撮っているのか

こうしたものが見えてくるかと思います。

そして、この記事を読んだ後に、
改めて写真集「浅田家」や「NEW LIFE」を手に取ってみると違う光景が現れるかもしれません。

以下記事となります。

***************
おやじは定職がなかった。コックとか造船所の作業員とかトラック運転手とか10回は転職した。だからなのか、第34回木村伊兵衛写真賞をいただいた僕の写真集「浅田家」(赤々舎)の撮影では、極道でもバーテンでも何の役に扮してもはまった。家族の中で一番の人気者です。

でも、元々は浅田家ではなかった。生まれて少しして、子供がいなかった浅田家の養子になった。あまり良い思い出ではないらしく、高校を中退し、かばん一つで逃げるように浅田家を出たと聞いています。

そういう生い立ちからか、温かい家族を築きたいという思いが強い。生まれて間もない僕と、3歳上の兄の写真を年賀状に載せたり、家族そろってご飯をたべたりしていたのは、おやじの意思。今も津市の実家に帰ると朝7時に起こされ、家族で朝ご飯です。みんなで食卓を囲むのは、すごく大事ですね。ほかの家族を撮影する時も、一緒に食事をした後は、その家族との距離がぐっと近くなります。

おやじは撮られるのが得意じゃない。ノリはいいのに自然に笑えないというか。料理とか映画とか日曜大工とか趣味が多く、仕事をしていた時は、土日がつぶれるのをいやがった。「もう嫌だ」とよく言います。短気で集中力がないのかな。被写体としては140点の時もあるし、0点の時もある。ただ、おやじが楽しんでいる時はダントツで良い写真になりますね。

おやじは酒が大好きだけれど、僕は飲めない。酒を酌み交わす代わりに、撮影を通しておやじを理解してきたようです。子供のやることに、ああだこうだは言わない。僕が専門学校を出てパチンコばかりやっていても怒られたことがない。逆におやじもパチンコにははまっちゃって。周りの人と違っていても「おかしい」とは言わず、自由に物事を考えさせてくれた。理想の育て方だと思います。

おやじは73歳になりました。老後とか介護って暗いイメージがありますが、その価値観を家族の写真を通して楽しいものに変えたい。それが今後の浅田家の課題ですね。

(聞き手・中島嘉克)

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澁谷征司の「DANCE」を今回特別にBOOK246で展示をさせて頂くことになりました。

BOOK246は、青山一丁目にある旅をテーマにした書店です。

昨年AKAAKAにて開催された「DANCE」展とはまた違った雰囲気での展示となるので
まだご覧になったことない方は勿論、AKAAKAにいらした方も是非足をお運びください。


澁谷征司写真展「dance2」



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日 時

2011年4月9日(土)〜4月30日(日)

会 場

BOOK_logo_blueW180.jpgのサムネール画像

住所: 東京都港区南青山1-2-6 Lattice aoyama 1F
ウェブサイト: http://www.book246.com/top.html


また、4月24日(日)にはトークイベントを予定しております。
詳細がわかり次第、お知らせ致します。




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