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「メイプルソープとコレクター」(原題:Black White +Gray: A Portrait of Sam Wagstaff and Robert Mapplethorpe )というドキュメンタリー映画を見た。
「メイプルソープの成功の鍵は、彼に目を付けカメラを与えたアートコレクターのサム・ワグスタッフにあった。アトリエでのメイプルソープのほか、貴重な映像を公開する。また、ふたりと多くのときを過ごしたパティ・スミスや著名な写真家などが、ふたりがアートビジネスに残した軌跡を語る」

だがこれは、メイプルソープではなく、ワグスタッフという希有なコレクターでありキュレーターにふれようとするものだ。おもしろかった。ワグスタッフがメイプルソープの写真を非常に好きだったのかどうかは私には謎だ。
ワグスタッフがコレクションした雑多な写真、それらがすごくいいなと目を奪われた。
写真がもつセクシャルな引力に強靭に身を投じた人、なのかもしれない。
セクシャルな対象を写したものではなく、写真が本来的にもつセクシャルな引力。そこに身をもって巻き込まれながら、目を開けていた人。

ワグスタッフのセルフポートレートも何点か流れた。即物的なのに遠い気がする。彼は晩年、コレクションの対象を、写真から銀器に移した。


見終わって、誰かに似ていると思った。
考えるまでもなく、スカロのウォルター・ケラーに似ているのだった、私の中で。ビル・ヘンソンの「lux et nox 」は私の大好きな写真集だ。あの本についてケラーと話した時間。lux et nox 「この写真集を再版するときは日本で刷らないか。きみが印刷を見るなら、任せられる」 たじろぐしかなかった重い時間。 いま、どうされているだろうか。写真をふたたび挟んで話すことがあればと思う。



大竹昭子さんが、紀伊国屋書評空間に、「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」の評を掲載してくださっています。

http://booklog.kinokuniya.co.jp/ohtake/archives/2010/12/post_71.html


この本はどうして、気づかされることが尽きないのか、、、何事も、考えを尽くせるものではないけれども、特にこの本は、どうしても、どのようにも、自分の中で収めきれない、了解したと言い切れないものが大きい。だからこそ目を凝らし、その写真のことを、本という存在のことを思っていたい。
大竹さんが書かれた、この1枚の写真が未来にもたらすものーーという視点に非常にはっとさせられた。

ジョナサン・トーゴヴニクは再び来日します。
1月23日、銀座ニコンサロンでアーティストトークを開催します。
読者である私たちは、本にいかなる衝撃を受けようとも、置き去りになってはいず、本という尽きせぬ存在がここにあり、プリントと向き合う場があり、ジョナサンという生身の声を聴く機会にも恵まれようとしている。



忘年会の夕、少し早く来た浅田政志と話していて、なんだか来年がせり上がって来た。

1、夏に東北スライドショーツアーをやろう。

2、パリフォトに出展しよう。来年は出版社として。あわせてパリでスライドショーをしよう。

3、AKAAKAでのイベントを実況中継しよう。

4、ツィッターをやろう。


3と4は、思えばやれることだし、遅すぎるぐらいのこと。
1と2が肝心かもしれない。
2008年に北海道とソウルで行ったスライドショーは、私たち自身に多くのものをもたらした。現地で本が売れるどうかとかいうことではなく、写真を見せること、伝えようとすること、写真そのもの、そして行為について、思いがけないほどのものを残していった。行動をともにするなかでの、私たちの間のちょっとした摩擦も印象深い。
またやろうと思う。そうしたことが赤々舎の原点だし、おそらくデスクの前にいることは私でなくてもいい。学校でも書店でも公民館でも居酒屋でも、求めてくれる場所で写真を共に見て考えたい。


オランダでは、レンブラントとゴッホに圧倒された。
ゴッホは、思いを巡らすものではなく、生を迫られるものだった。

国立美術館の展示を出たところに、収蔵品の写真作品を置く小さな部屋があった。絵画に打たれたまま、それらを見たとき、ただ1点、ロバート・フランクのがどうしようもなく美しかった。
『いのちの乳房』
乳がんによる「乳房再建手術」にのぞんだ19人
写真: 荒木経惟 企画: STPプロジェクト
出版社: 出版社: 赤々舎
参考税込価格: 2,625円
ISBN-10: 4903545636
ISBN-13: 978-4903545639
4903545639.jpg美しいものを見て、自然と涙がこぼれるようなことが、ひとにはある。「うつくしい」は「愛しい」とも書くから、そこにはたぶん、かなしみやいとしさが含まれていて、だから胸を締めつけるように、あるいは固く閉ざされた心がほどけるように、なにか抑えられない気持ちが流れ出るのかもしれない。『いのちの乳房』は、そうしたうつくしい写真集である。

この写真集のなかに登場する19人の女性はすべて、乳がんを告知され、手術によって損なわれた乳房の形を取り戻すために、「乳房再建手術」にのぞんだ人たちだ。日本では女性の16人に1人が乳がんを発症し、年間で約5万人が告知を受けているというが、この病気がどのような苦しみをもたらすものなのか、十分に知られているとは言いがたい。乳がんは生命を脅かすだけでなく、その人が女性として生きていく自信や勇気を奪い取っていく。

失った胸を見ては毎晩シャワーの下で大声で泣く人、相談相手の胸に触って「胸がほしい」と号泣する人、「きれいな胸が揃った状態でお棺に入りたい」と話す人――。本書に掲載されている彼女たちの言葉には、乳房を切除することによってもたらされる喪失感の大きさがにじんでおり、それは命の重さにも匹敵するほどのものであることを、教えられる。乳房は女性にとって想像以上にその存在を支えるものであり、だからこそ「乳房再建手術」を経験したモデルたちは、この体と一緒に生きていくために、そして同じ境遇にある女性たちを励ますために、カメラの前にはだかで立って笑顔を見せるのだ。ひとつの決意表明として。

いま目の前で輝く、自信に満ちあふれた力強くやさしい笑顔を見ながら、私はキャンバスいっぱいに花を描いたアメリカ人女性画家、ジョージア・オキーフ(1887-1986)のことを思いだす。「誰も実際には花を見ていない。花は小さく、見るということには時間がかかるから」。彼女はこう言って、もっともありふれた花がそなえるうつくしさを、私たちに示したのだった。それと同じように、荒木経惟氏によって撮影されたこれらの写真は、乳がんがその人にとって何であったかを、大きく写し出してみせる。よく見ようとしなければあらわれないその傷を、新しい生を歩みはじめたその表情を。ありふれたもののうつくしさに気づかない私たちに。

ひとと向き合っているときでさえ携帯電話やパソコンのモニターを見つめる時代に、よく知りもしない人間の写真をじっくりと眺めることは難しいだろうか。でも、少しだけ立ち止まって、そこにいるひとりの女性のすがたに、触れてみればいい。写真は見るものと見られるもののあいだに関係をつくりだす。そうしたら、うつくしいものが見えてくる。

巻末には「乳房再建手術」の基礎知識や、手術をおこなっている医療機関と担当医が紹介されており、役に立つ。

2010年12月23日 10:00

2010年も赤々舍、スペースAKAAKAの活動を応援してくださり、誠にありがとうございました。

赤々舍は、2010年12月29日(水)から2011年1月4日(火)までお休みをいただきます。
赤々舍業務、スペースAKAAKA澁谷征司「DANCE」展は、共に2010年1月5日(水)より再開致します。

2011年も引き続き、赤々舍の活動にご期待ください。
皆さまの、新年のご多幸をお祈りしながら...


赤々舍 スタッフ一同


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