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読売新聞 22.10.14 文化面で アルル国際写真フェスティバルで写真集の賞を受賞した
金子隆一、アイヴァン・ヴァルタニアン共著「日本写真集史1956-1986」が紹介されました。


日本の写真集文化 高い評価

日本の写真家はプリントよりも、写真集を重視する傾向が強いとされる。

ー中略ー

写真家の発表手段は、プリントの展示や販売、雑誌掲載、写真集のように幅広い。東京写真美術館専門調査員で、自身、雑誌類を含めれば約2万冊をコレクションする金子さんによると、日本では戦後、プリントよりも写真集を重視する考え方が強まった。
それが90年代に入って、荒木経惟、森山大道さんらが国際的に評価され、彼らの旧作に光が当たる中で、編集者やデザイナー、印刷会社も情熱を注ぎ、高いレベルの写真集が作り続けられてきたことに海外のコレクターらが気づくようになったという。その良質な成果を選んだ『日本写真集史』は長年、企画を温めてきた1冊。

ー中略ー

こうした写真集文化は恵まれた出版環境から生まれたわけではない。今日でも写真家とその仕事を理解する小出版社、専門的な技術を持つ印刷会社などに支えられているのが現実と言ってよいが、その密度の高い共同作業こそが、国際的な評価に値する写真集の質を維持してきたことも改めて注目されるべきだろう。




写真集「高良健吾 海 鈴木心」(仮題)を、来年1月発売予定で制作中です。

yahooニュースから
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20101020-00000002-sph-ent

高良健吾オフィシャルホームページ
http://www.kengo-fc.com/

鈴木心ホームページ
http://suzukishin.jp/
「ルワンダ ジェノサイドか生まれて」がいろんなところで取り上げられています。 
嬉しいかぎりです。

 ひとつは産経新聞 2010.10.18日の文化面で取り上げていただきました。
【ジャーナリズムの意味問う】と題された読みごたえのある記事です。
是非ご一読を!

http://sankei.jp.msn.com/culture/arts/101018/art1010180747000-n1.htm


もうひとつは大阪と福岡にあるカフェ、cafe&books bibliothequeと、本と雑貨のお店bookmark bibliothequeの
スタッフブログで取り上げていただきました。

16年前ぼくは元気な小学生でした。というタイトルのブログです。
書店員さんがこういう風に読んでくれていると思うと、もっとたくさんの人にこの本を手に取ってもらわねば、と思います。

http://biblio-blog.jugem.jp/?eid=81


鈴木
16日土曜日、スペースAKAAKAにて現在開催中
THE NIGHT IS STILL YOUNG のトークショーを開催しました。
作家、畑智章と共に熱いトークを繰り広げてくださったのは
ドラァグ・クイーンの中のクイーン、マーガレットさんです。

bl-101019_1.jpg下町深川に突如、マーガレットさん現る!

歯に衣着せぬ物言いと、独特のユーモアセンスで客席を大いに沸かせてくださいました。
涙が出るほど笑ったことって、最近あったかしら...
畑さんとマーガレットさんのお話の後、なんだかこころがすーっとした...

「この世で完璧な本物をつくろうったってそううまくは行かないわ。
だから完璧な偽物をつくったの、それがあたしたちドラァグ・クイーンよ」

終始笑顔で、辛辣な言葉にも深い愛を感じるマーガレットさん。
ドラァグ・クイーンとして生きる世界にはきっと、わたしたちの計り知れない苦悩も喜びもあるだろう。
それを知っているマーガレットさんや畑さんは、だからこそあんなにもやさしいのだなあ。

装いは、幾分この下町には似つかわしく無いところがあったけれど
その人情は、下町にも通じるくらい深くて温かだった。
冷たくなり始めた夜の空気に、人のぬくもりを感じるひとときでした。

THE NIGHT IS STILL YOUNG 展は10月30日(土)までの開催です。

やまだ

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週刊読書人 10月15日に「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」が紹介されました!
読物文化の欄に小池昌代さんの評が載っています。


生々しい顔、顔、顔   それぞれの「実存」を強く感じさせる

 アフリカ中央部のルワンダで、一九九四年に起こった集団殺戮。その際、惨い暴行を受けて妊娠し、出産した多くの女たちがいる。
本書には、そうして生を受けた子供たちと母の肖像が収められている。写真の傍らには一人一人の母親が語った生々しい記憶の記述があって、人間は(この場合、男は)、そこまで残虐になれるものかと、読んでいると次第に胸が塞がる。

 しかし写真には未来というものが写っていた。子供たちのことだ。皆、年のころは十三、十四あたりだろうか。思春期の瞳の美しさが、見た者の胸をまっすぐに射貫く。笑っている子は一人もいない。ここにあるのは、それぞれの「実存」を強く感じさせる、生々しい顔、顔、顔。
 
「毎日、毎晩、別の男が私にセックスを強要しました。誰にも暴行されずに夜が明けたときは驚きでした」。残虐はほぼ、百日間続いた。男たちはほとんど殺され、女たちのなかでも、こうして子を生んだのは、生き残った、ということ。なぜ、あのとき死なずにこうして生き残ったか。それには理由があるはずと、ある女性は思う。それをたとえば、「命を育てるため」などと、簡単に言葉で表現できるわけもない。子供を愛せないと言う母親もいる。産んだあと、赤ん坊を泣くままに放置していたという母親もいる。一方で、生まれた子供があまりにきれいだったから、あるいはその子が自分の唯一の家族だからと、自然愛することを始める女もいた。
 
みな葛藤し苦しみながらも、だんだんと生まれ出た子を引き受けようとするのだ。誰の子供であるか、誰が父親であるかということを、女は常に世間から問われる。しかしこの事例のように、誰かわからないという悲劇がある。たとえ相手がわかっていても、そのひとに愛され、愛したわけではない。しかし子は生まれてくる。産道を通って。そこに愛情が芽生えてくるという事実に、わたしは人間の尊厳と奇跡を見る思いがした。生まれてきたら、殺そうとすら思っていたのに、母親の心は変容する。この変容を拡大していけば、許しというところへいくのかもしれない。その光はまだ針の穴ほどのものだが、女性たちの言葉のなかから、見えるような気がした。

 源をたどれば、同じ一民族。そのフツとツチが、なぜこのように、最終的な悲劇を迎えることになったのか。わたしも今回、様々な書物を通じ、知識のかけらを得たにすぎない。小数派富裕層の支配階級だったツチ、その下にいた多数派農民層のフツ。発端には狭い国土を奪いあう対立があったようだが、その後、ルワンダ国内の独裁政権と民主主義の対立、さらにはベルギーの、独立運動をそらそうとする植民地政策や、フランス政府の介入(ルワンダはフランス語圏)などが複雑にからみあってきて、ツチ・フツ間に民衆レベルの復讐心が育ち、集団殺戮へと発展したようだ。

 この殺戮に際し、国際社会はどう動いたか。傍観し、助けるべき人を見殺しにしたということはないか。HIVに感染している母親も多いようだから、子供たちは遅かれ早かれ保護者を失う。彼らの未来に何が出来るだろう。ただ眺めるだけで終わらせるわけにはいかない。そういう写真集がここにある。

※本書の売り上げの一部は「ルワンダ財団」へ寄付され、性的暴力の被害者やその子供たちの支援に当てられる。
  詳しい情報についてはwww.foundationrwanda.orgまで。
                    
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