インタビューがDAZEDのwebサイトに掲載されました。
また、現在発売中の雑誌「ブルータス」の「次は誰?」特集でも、小社代表姫野が石川竜一を紹介しています。
どちらもぜひご一読ください。
「ブルータス」はこちらの表紙の号です。
[ 理由 ]
◎ 瞬間を捕えるのではなく受け入れる写真。
◎ 身の回りの写真で時代を表象している。
物事の本質を象徴していたり人の内面の一端を表していたりと、多くの写真家は意味の込もった一枚を求めて、能動的に瞬間を捕えようとします。対して石川竜一は、そこにある状況をいかに写真で受け入れるかということを、撮る行為の核に置く写真家。沖縄の写真なので、当然、固有の歴史や政治状況を象徴するものが写り込むけれど、彼はそれを訴えたいわけではなく、自分の生活圏内でありのままの沖縄の土地、人を撮ったに過ぎません。それが沖縄の外で響くのは、混沌とした現代における、もっと大きな何かが期せずして描かれているからだと思います。
- - - - - - - - -
Street peeping in Okinawa
© Ryuichi Ishikawa
掲載ページはこちら(英語のDazedのページへリンクします)
http://www.dazeddigital.com/photography/article/23351/1/street-peeping-in-okinawa
石川竜一インタビュー(日本語)
1 写真集について、出すに至った経緯やその他、教えてください。
2012年の写真新世紀で清水穣さんから佳作を頂き、展示のために東京に行くきっかけを頂きました。その際、どうせ東京に行くならと、恩師の勇崎哲史から数名の写真、美術関係者を紹介して頂き、東京にいる間にその方々にたくさん写真を見て頂きました。その中に文筆家で写真家の大竹昭子さんがいて、大竹さんに写真を見て頂いてすぐに、今回僕の写真集を出版して下さった出版社「赤々舎」の姫野希美さんと、その展示をして頂いたギャラリー「ATSUKOBAROUH」のアツコ•バルーさんを紹介して頂きました。
それから1年が経って、これまでと違う方法で自分の写真をまとめてみたいと思いスナップを見返して自主制作の写真集を作りました。2014年にその写真集が完成して、今度はその時に沖縄に滞在制作に来ていた初沢亜利さんの紹介で東京に行きました。写真集のことを完成前からwebサイトで取り上げて頂いた都築響一さんや写真集のタイトルを決めるきっかけを頂いた木元禎一さん今回、写真集や展示会に関係するデザインを担って頂いた町口景さんを訪ね、もう一度姫野さんを訪ねました。
そのときに姫野さんがその場でスナップの写真集(絶景のポリフォニー)の出版を決めてくれました。それが2月頃で、4月頃からほぼ毎日スカイプで話をしました。写真集に関係することから全く関係ない日常のことまで話をして、6月に清水穣さんに京都での展示に誘って頂いた際に同時に赤々舎で打ち合わせをして、その中で急に姫野さんから2012年に見て頂いたポートレイトの写真集も一緒に作ろうという話を頂きました。僕としては急いでいるわけでもなかったので、迷いましたが、せっかくの機会だからということで同時に作ることにしました。それからは猛スピードで展示会などの色々なことが決まっていき、それについて行くのでいっぱいで、なにがなんだか分かっていません。
もともとフラフラと写真を撮るのが好きなだけで、こういうかたちでいろんな人に写真を見てもらえるようになったのは、ほんとに周りの方々に助けられてのことです。
2 ストリートフォトのどういうところが魅力(取り組みたくなる理由)ですか?
写真は正直でいることを許してくれます。撮りたいと思うものを撮れば、それだけでたくさんのことを教えてくれます。考えるきっかけをくれるし、思い出すきっかけをくれます。自分のことや、相手のことや、時代のこと、土地のこと、ボタンを押すだけでたくさんのことが写ってしまいます。だから出来るだけ構えずに自然体でいたいと思っています。
3 被写体や撮影場所はどのように決めていますか? また、撮影にはどのような準備・演出をしていますか?
意識して写真を撮りに出かけるということはあまりありません。仕事の合間や、用事でどこかに行ったとき、普段友達と遊んでいる時、その場所で撮ります。その方が自分の意識を超えたところへ連れて行ってくれるからです。
気になった人、話してみたい人がいたら何も考えずにすぐ声をかけます。もし、朝ご飯にオムライスを食べていて、その日、家を出てからTシャツにケッチャップがついた人が歩いていたら声を掛けると思いますが、もし朝ご飯がオムライスではなく、ハンバーグを食べていたら別の人に声を掛けると思います。もし、同じ10人の人が2つの場所を歩いていたとして、それぞれの場所で、撮りたいと思う人は変わるかもしれません。そうやって気になった人にとにかく声をかけて、撮影に応じてくれた中から、まとめる段階で、自分が何を見ていたのかを考えます。
準備といえば、持ている機材やカメラなど20kg以上を普段から鞄の中に持ち歩いています。それは僕の中で、今しか出来ない事という中の一つの遊びのようなものです。
演出という事では、人と出会った時にその場所から見える範囲での移動をお願いする事があります。その場所のより多くが写る方を選ぶ事が多いです。
できるだけリラックスするようにお願いします。笑顔などの作られた表情はその人を隠してしまう事があります。リラックスした表情や姿勢は、皺や筋肉のつき方などから、その人の日常やその人自身を見せてくれるように思います。
4 どんな人物を撮るのが好きですか? また、その人たちはカメラの前でどんなリアクションをしますか?
その時に気になった人に声をかけるので、一概にどういう人かということはいえません。
ただ、仕事中とかではなく、差はあるにしても、その人が選択したであろう状態の時に、撮りたいと思う事が多いと思います。そういう時にこそ、その人の持っている「何か」が出て来ているように感じるからです。
5 「僕らは、いつもどこかですれちがい、記憶の奥で埋もれてしまうほどの小さな残像となっていく。」という言葉を写真集に載せていますが、あなたの写真はどのようにして個人の人格やストーリーを永遠(不滅のもの)にしますか?
人格やストーリーは固定する事は出来ません。人も物もすべては流動的で不安定なものです。写真に写すという事にしても、すべてを固定できる事はありません。当然、写らないものがあり、表現である以上関わる人や時間に委ねられるところがあります。どううまく言えばいいのか分かりませんが、写っている事に関して考え、想像するためのピースとして写真があるというように思っています。
恩師の言葉を借りて言えば「写真はドキュメントではなくモニュメント」という事かもしれません。
6 あなたの写真を3つの言葉で表すと?
wat is that
7 「ある人は好きな人の話をしてくれて、ある人は親への不満を打ち明けてくれて」という言葉を写真集に載せていますが、あなたの写真にセラピー的な側面はあると思いますか?
僕の写真に限らず、人と人が関わるということはそれだけで、自分の存在を確かめるという重要な意味をもっています。同時にその存在の確認によって大きなストレスもかけてしまいます。そういう意味で言うとある人にとっては癒しであるかもしれませんし、ある人にとってはただ写真に写るという事でしかありませんし、もしかすると迷惑な事でしかないかもしれません。だから出来る限りその人のことを思うことが大切だと思っています。
色々な人達がいて、色々な生き方があるということが僕にとってとて救いであるし、そう感じてくれる人がいてくれたら嬉しいとも思います。