こんばんは。姫野です。
いま諏訪湖の畔の印刷所の5階にひとりでいます。印刷立ち会いは、色の調整にOKを出してからそのページが部数分刷られる間、それなりに待つことになるんですね。5階の待合室で大きな片目のだるまと目を合わせながら過ごしています。そういえば、先ほどこちらの社長さんが、赤々舎にも来年のためにだるまを注文してくださったと話してくださいました。あやかりながら、来年を期したい。
明日は国分寺で小野啓とトークします。
いま制作している写真集『NEW TEXT』について、その撮影過程、写真集制作過程、そしてなぜプロジェクトを立ち上げたかを話すつもりでいます。赤々舎はほかにも本を作っているわけですが、なぜこの写真集において皆さんの応援を募ろうとしたのか。
本の中でも写真集は、制作費、部数、定価のバランスがとりにくいジャンルです。きわめてとりにくいと言っていい。制作費は普通の文字の本より遥かに高いにもかかわらず、需要が想定される部数は逆にとても少ない。そうなると定価が高めになるのは当然で、それが買いにくさにつながるという悪循環もある。
『NEW TEXT 』の総制作費550万円をどう思われますか? これは少なくともかかるだろうと見込まれる金額です。当然ながら赤々舎がつくる写真集で、これ以上かかるものもあれば、これより少ないコストの場合もあります。でも常にそうした数字は眼前にあり、個人の生身の実感としては非常に高いコストなのです。法人もひとりの人間みたいなもので、同様に感じている。
私は「経済の人」ではありませんからーーそのように、あるときある会社の社長さんに言われ、なんというか複雑でしたがーー確かにその通りなのです。それが経営者として欠陥であるのは言を俟ちませんが、どうしようもないというか、赤々舎は詰まるところ資本主義ではないのです。その論理では動いていないので、非常に奇異にも見えるのかもしれません。
私は時折、全冊売れても赤字、というようなバランスを選択してしまったりもします。売れにくい方向を指してしまうこともあります。その負荷には当然ながら苦しむのですが。選択しているのは私自身です。
『NEW TEXT』の内容については、詳細ページにスライドショーがあるので、ぜひご覧ください。
10年間かけて撮影された500名の高校生の写真を300枚に絞るのは、とても苦しいことでした。「ひとりひとりが遠かった」と言うほどに時間がかかり、被写体を選んだことはなかったのに、写真集にするとなってやはり写真を選んでいく。私たちは何を見て、何を選んでいるのかという思いにとらわれました。そのことはまた別の機会に書きます。300枚、一枚一ページというのは、ですからぎりぎりに絞った数量で、普通の写真集からするとページ数が多いのですが、ここに込められた個と時代を伝えるために必要なボリュームでした。
私がこの本をどんな人に見てほしいだろうと思ったとき、いつもながら写真業界の人ではありませんでした。
まず浮かんだのは、被写体となってくれた高校生たちが通ったであろう図書館に。
それから、撮影から10年近くたって今では親となった人もいるという、その家族の情景の中に。
「スクール・カースト」とも言われるいまの教室のなかにいる、ひとりひとりに。
高校生という時期は、誰にとっても決して単純なものではないでしょう。振り返ることも正視することもたやすくないでしょう。ただ、この写真集の中の高校生は、ひとりひとりカメラと対峙していて、その眼差しが私たちをそれぞれに貫くのです。
こんなにもたくさんの方に見てほしい、公共の場にも置かれて誰でも手にとってほしい、と思ったとき、
具体的には定価をできるだけ低くすること、図書館に寄贈すること、を考えました。
制作コストと部数と定価のバランスの中にあって、、、今回の場合、その目的を達するためには赤々舎の力だけでは難しく「応援プロジェクト」を立ち上げました。自分たちにとっても初めてのことで、仕組みに無理がないか、皆さんにご納得いただけるかどうか、できれば率直なご意見をお聞かせください。
info(a)akaaka.com (a)を@に変えてください。
info(a)akaaka.com (a)を@に変えてください。
最終的にはプロジェクトの結果として、金額の収支や寄贈できた冊数をご報告致します。
おわかりいただけるかと思いますが、これは赤々舎を応援するものではなく、『NEW TEXT』を応援いただくものです。そして写真集は、作家のものではなく、出版社のものでもなく、この世という場所に差し出されるものだと思います。その行方を、どうぞ応援ください。