世界が新しく分断される今、同じ時間に生きる写真家は、各地で何を考え、制作しているのか─。 写真家・岩根愛の呼びかけに呼応した、7つの文化圏、10名の写真家たちのフォトストーリーとエッセイを収録する写真雑誌〈Decades〉。 このページでは、「20年間」という時間軸を1冊に綴じ込めた雑誌とは、一体どのような赴きにあるのか、各作家のエッセイの抜粋から、その一端をご紹介できればと思います。 |
Cover A : Mandela Hudson | "
写真を撮る、文章を書くといったクリエイティブなことに取り組みはじめると、それらが自分にとってとても大切なことに気がついた。何よりもまず、周囲の人たちの協力なくして、私は今の自分にたどり着くことはできず、愛する人々の姿勢や考え、感情を、写真を撮ることで表現をすることはできなかっただろう。 マンデラ・ハドソン「バビロンからの便り」より抜粋 "My intentions were to use creative measures such as image-making and writing as a course of action to possibly shield myself and increase my vitality but when I compiled the photos I quickly noticed that they shed a light on a few crucial factors. First and foremost, without dedicated support and a fostering community, there is no way I could have made it to this stage of my life, and that the photographs also served as a pictorial representation of my loved ones' attitudes, thoughts, and emotions. Extracted from the essay, Mandela Hudson "More News from Babylon" |
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Cover B : Ishiuchi Miyako | "2020年コロナウイルスの広がりがまだ少なかった3月上旬、広島平和記念資料館に新しく寄贈された遺品の撮影に出かけた。1945年8月6日を体験した品物が75 年の時間をまとってたどり着く場所である。2007年から通い続けているが、いつになっても過去になれない品物が2万点近く収蔵されているのだ。年々寄贈品が少なくなっているけれど、今年も私が撮らなければならないワンピースが待っていた。着る相手のいない洋服はとても寂しそうに折りたたまれている。それを光の中につれ出して硬いかたまりを広げ、皺を伸ばし胸元をただし、スカートのひだに空気を入れる。持ち主の彼女の姿を思いうかべながらシャッターを切る。" 石内都 『Mother's』から『ひろしま』へ」より 抜粋
Extracted from the essay, Ishiuchi Miyako "From Mother's to ひろしま / hiroshima" |
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Cover C : Antoine d'Agata |
"非生命体の住む空間に潜む、残酷な現実。動きの止まった時代、この世界に在るという純粋な状態、吸収という形に還元された存在。収まることのない生き残りのサイクル、些末なものへと崩壊を遂げる生物たち、永遠という文脈としての終末。 アントワーヌ・ダガタ「酩酊。」より 抜粋 "BRUTAL REALITY IN THE SPACES OF NON-LIFE. IMMOBILIZED TIMES, PURE STATE OF PRESENCE IN THE WORLD, EXISTENCE REDUCED TO A FORM OF ABSORPTION. INCURABLE CYCLE OF SURVIVAL, COLLAPSE OF BEINGS INTO INSIGNIFICANCE, APOCALYPSE AS PERMANENT CONTEXT. NAKED LIPS ON THE OPEN WOUND, WITH THE UNBEARABLE VIOLENCE OF RESENTMENT, THEY DESTROY THE SPIRIT OF A TIME WITHOUT PITY, PARALYZED BY THE FATALITY OF CYNICISM AND COMFORT. FICTION REFUSES TO ADAPT TO REALITY, CONDITION AND POSSIBILITY OF WHAT ONCE WAS AND OF WHAT IS." Extracted from the essay, Antoine d'Agata "INTOXICATION." |
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Cover D : Luo Dan |
"7月、私は車を運転し、一人で広大な高原を走り回った。らくに呼吸し、のんびり歩き、思う存分写真を撮り、本当に久しぶりに自由を感じた。もともと内向的な性格の上に、半年近く閉鎖、抑圧、恐怖、不安を経験し、人と接触し交流することは極度に少なかった。だから、私がレンズ越しに撮影した人々も、だんだん小さくなり、遠く離れていった。私は無人の場面を多く撮影した。そこは未開の地などではなく、道路のすぐ脇だったりする。また、人が自然のなかに残した痕跡も多く撮影した。道路も痕跡も、すべてが人の占領下にあることを示しているように見える。この世界は、人の世界だ! でも、果たしてそうだろうか? ウイルスの世界でもあるだろう! " 骆丹「逃げ場なし」より抜粋
Extracted from the essay, Luo Dan "Nowhere to Run" |
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Cover E : ERIC |
"完成した写真集(※2019年『WE LOVE HONG KONG』)を見返していて、ポートレートについて気づくことがあった。20年前、僕のデビュー作となったポートレート集を思い出し、「同じだ」と感じたのだ。モチーフは全く異なっていて、海水浴場で、海を背景にして子どもを撮影したシリーズだった。未発表だが、大人のカットも混じっていた。日中シンクロという撮影法は同じであるから、共通性はその表面的な特徴かというと、そうではない。写真という媒体によって、人の何を表現しようとしているかが、共通していると思えたのだ。" ERIC 「語りえぬもの」より一部抜粋
Extracted from the essay, ERIC "The Indescribable" |
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Cover F : Jinhee Kim |
"今回『Decades』に使うため2000年の雑誌を調べていて、私は戸惑いと興味深さを同時に覚えた。当時の写真と、作品のために収集してきた2020年の写真との間に、20年の年月はそれほど強く感じられなかったのである。その中の女性の手の仕草は、衝撃を受けるほどに解放的で進歩的であり、かえって自然体のように見えた。最近のメディアの中で女性の手が標準化された美しさを演じているように思え、その反感から私は〈Finger Play〉シリーズの制作を始めたのだが、20年前のイメージからは飾り気のない純粋さを感じたのだ。" キム・ジンヒ「2000」より一部抜粋
Extracted from the essay, Jinhee Kim "2000" |
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Cover G : Ai Iwane |
"「誰もいなくなった桜の森に、四つん這いの鬼が徘徊する」 岩根愛「あたらしい川がながれる」より抜粋
Every spring, I visited a grove of cherry trees where traditions said that oni live in, because I could not stop thinking about the words a taiko drummer from Futaba, Fukushima once mentioned to describe his hometown he had been unable to return to since the Fukushima Daiichi nuclear power plant accident. *"Oni" is a demonic, ogre-like creature in Japanese folklore. Extracted from the essay, Ai Iwane "A New River Flows" |
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Cover H : Shen Chao-Liang |
"台湾の内側を撮影し書き続けてきた土台の上に、私も幾つかの創作の方向性を考え始めた。たとえば、いかに歴史という軸線の上に、出来事、精神的な象徴や隠喩、社会や風土に関わる光景を重ね合わせるか。そして視覚的な編集を通して、国家の様々な局面を表現しながら、歴史と土地の関係性を反映させ、異なる民族が時代に直面する複雑な感情を描きたい。さらに、有事の際には地理的に最前線の鍵となる台湾を、グローバリゼーションの文脈において類似の出来事に繋げていくことを試みる。過去に遡り、現在を見回し、未来を演繹する。植民地、ナショナリズム、民族、冷戦、人権、原住民、生態、環境、エネルギーなど、台湾内部の潜在的な課題を扱う〈漂流〉(2015-2020)は、まさにこのコンセプトのもとに、台湾各地で撮影した写実的かつ叙情的なイメージによるシリーズであり、テーマや撮影地の広がりからもこれまでにないプロジェクトである。" 沈昭良 「過去と未来へ」より抜粋
Extracted from the essay, Shen Chao-Liang "For the Past and the Future |
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Cover I : Ryuichi Ishikawa |
"20年経って、ほとんどの友人たちがまた沖縄で暮らしている。部屋や土地を人に紹介したり、電気や配管を通して内装を作ったり、料理を作ったり、音楽を作ったり、服を作ってみたり、相変わらずの歯痒さを抱えながら、何かを考え続けて、何かと戦い続けている。沖縄に帰ってきた時、みんな出ていった時の半分を都会に置いてきた。でも、彼らが持ち続けている半分を僕はもっと幼い頃に置いてきた気がして、そんな彼らが輝いて見えて、一緒にいて救われた。だから僕は彼らが都会に置いてきた半分なのかもしれない。 石川竜一「Offline」より抜粋
Extracted from the essay, Ryuichi Ishikawa "Offline" |
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Cover J : Seung woo Back |
"このシリーズは未発表で、2019年から作り続けている。2019年から毎日、写真に規則的に日付を入れるスタイルだ。最初の時点で、一日に2点の作品を制作した。2019年1月1日に、2019年1月2日と2018年12月31日の日付の2点を制作し、次の日には、2019年1月3日と2018年12月30日の日付の作品を作った。/ これらの写真は私が直接撮影した写真もあれば、誰かが過去に撮影したフィルムをアーカイブし、その中から選んだものもある。また、場所と出来事を記念するポストカードをアーカイブしたものの中から選んだものもある。/プリントされた写真の上にアクリル絵具で日付を入れる。それは、その時々に興味を抱くイメージ、関心が向いているテーマを選んで、虚構のアーカイブをするプロセスだ。特別な目的があるわけではなく、作家的行為の一環であり、写真の概念に対する研究である。" ベク・スンウ「DAILY STAMP WORKS」より抜粋
Extracted from the essay, Seung Woo Back "DAILY STAMP WORKS" |