(続き) 前半はこちら。
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百々俊二 × ビジュアルアーツ・フォトアワード
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(10分休憩後)
【校 長】それでは第二部を始めたいと思います。
最初はビジュアルアーツ・フォトアワードの経緯からお話ししましょうか。
...あれは1990年のこと。
今のひとつぼ展の前身に当たる、銀座のガーディアン・ガーデンというギャラリーから
「若い人のコンペをやりたい」という相談を受けまして、
「人間の街」と題して、ギャラリーで展覧会を開くプロジェクトを立ち上げました。
同時にキヤノンの新世紀写真からもプロジェクトの相談を受けまして、
何年かは審査をしたりしました。
でも1995年ぐらいに全部やめました。
「違うだろう」って思うことがいっぱいあったからです。
若い人が写真展を1回やっただけで終わってしまうのは
あまりにももったいし、持続性がない。これはもったいない。
そこでなんとか写真集を作るためのプロジェクトを立ち上げたいと思って、
いろんなところへお願いに当たりました。
けれども資金等の問題で、すべてダメでした。
だったらもう自前でやるしかないと思い、うちの姉妹校4校をなんとか説得して、
ビジュアルアーツ・フォトアワードを立ち上げました。
【校 長】フォトアワードは年間約700万かかっています。
一番最初は年間1000万かかると見込んでいて、そのときは写真集を2冊作りました。
今まで14名の写真集を作ってきましたが、
これはうちの卒業生だけではなく、35歳までを対象に募集しています。
審査員は森山大道さん、飯沢耕太郎さん、上田義彦さん、瀬戸正人さん、それと私。
このメンバーで審査をしながら10年やってきました。
今年はちょうど10周年です。
出版は、数年間ほど青幻舎さんにお付き合いをいただいていましたが、
今年からは赤々舎さんが引き受けていただくことになりました。
新たなスタートだと思っています。
それと赤々舎さんはパリ・フォトにブースを出展されますので、
その脇にうちのフォトアワードの本を置かせていただくことになりました。
今後はそういう展開でやっていきたいということで、
それに合わせて今回のトークショーを企画しました。
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姫野希美 × 赤々舎
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【校 長】ここからは姫野さんにお話を色々と伺って参りたいと思います。
姫野希美さんは1969年大分生まれ。
早稲田大学大学院在学中に、出版社でアルバイト。
卒業後、2年間の海外生活を経て青幻舎に入社し、
多くの書籍やアートブックを手がける。
2006年5月に赤々舎を設立。
2010年に長女を出産し、一児の母になる...と、
皆さんに渡したプリントの経歴にはプライベートなことまで書いてありますが...。
【姫 野】......。
《会場/笑》
【校 長】まず、赤々舎を立ち上げた動機を伺いたい。
今はなかなか写真集が売れない時代です。1000部...良くて2000部ぐらいですかね。
すべて売れたとしても、ほとんど利益が出てこない構造になっております。
だから日本の写真界は今、若い人の写真集が出版されない状況です。
なのに姫野さんは写真集を出版している。
しかも若い人の、本当に良質な、一生懸命やっている作家の写真を世に出している。
赤々舎からは木村伊兵衛賞が5人...5冊ほど出ております。
是非、設立のきっかけや動機をお聞かせください。
【姫 野】はい。百々先生からフォトアワードの経緯を聞いて、
共感というか、とても響いてくるものがありました。
私は青幻舎という出版社に約10年いましたが、そこは本当に素晴らしいところでした。
出版の範囲が広く、 伝統工芸、現代アート、写真集...
それから会社が京都にあるので、京都本と言われるものも。
様々なジャンルのものを出していました。
【姫 野】当時、編集者は私だけ。
青幻舎に入ってすぐに作ったのは、
佐内正史さんの「生きている」と、大橋仁さんの「目のまえのつづき」という写真集。
そのときに初めて "写真家" という人たちと身近に触れあったんです。
それがあまりにも強烈なインパクトというか...すごい経験でした。
【校 長】おふたりとも強烈ですよね。
【姫 野】はい。笑
獣みたいに、本能しかない姿を目の前にして、非常に鮮烈な印象を受けました。
私はアートが好きですが、絵とか彫刻のほうに親しみを感じていました。
でも一気に持っていかれた感じで、もっともっと写真集を作りたくなったんです。
とは言え、青幻舎はだんだん大きな会社になり、
所帯が大きいということは、たくさんお金もかかるわけですから、
写真集ばっか出すわけにはいかないんですよね。
そして、先生もおっしゃっていたように、
残念ながら今は写真集というのが儲からない構造になっている。
でも自分の気持ちはどんどん写真や写真家のほうに...
こう、わけのわからないものに傾斜していき、
そうなると他のデザイン書とかが作りにくくなってしまったんです。
自分の内面的なモチベーションが上がらなくてね。
私は結構気分屋というか身勝手で、
それで「これはちょっと困ったことになったなぁ」と思って...
衝動的に独立しました。
そんなに深く先行きを考えていたわけでもなく、本当に衝動的に。
「ひとりでやる分、経費も少ないかしら?」ぐらいな感じで独立しました。
【校 長】それで東京に出たんですか?
【姫 野】いえ、最初は京都で。青幻舎が京都だったので。
【校 長】1番最初に作られた本は?
【姫 野】徐美姫さんの『SEX』という、A3の大きな本です。
【校 長】京都から東京へ行ったきっかけは?
【姫 野】 作家もデザイナーさんも、だんだん東京の人が多くなってきちゃって、
週2回ぐらい上京しないと仕事が回らなくなっちゃったんです。
本屋さんに営業に行くのも、東京のほうが市場が大きいし...。
そんなこんなで「東京に行くか...」っていう感じで東京に引っ越しました。
東京がおもしろいとは、今も思っていませんね。
【校 長】最初から六本木で?
【姫 野】いえ。大学時代に早稲田に住んでいたので、初めは土地勘がある早稲田に。
雑居ビルの一階で、半分ぐらいが本の倉庫みたいになっているところでした。
その後「展示のスペースを作ろうかな?」という気持ちが湧いてきて、
清澄白河で2年ちょっとやりました。
でもそこは広すぎましたね。
もっと親密に作品と向き合ってもらいたくて、今の西麻布の一軒家に引っ越しました。
【校 長】今現在「写真集を作りたい」という持ち込みは、月にどれぐらいありますか?
【姫 野】どうでしょう...。5、60件ぐらいかな?
1日に電話やメールが2、3件くる感じです。
【校 長】「写真集をどうしても見てほしい」「本にしたい」
という若い人が、結構いるっていうことですね。
特に「赤々舎から出したい」って思っている人たちが。
【姫 野】それはどうかな?
「本を出してくれるところがないから」っていう、
すごくあっさりした理由のような気がする。
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姫野希美 × ERIC
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【校 長】ERICさんの写真集「every where」。
これは先程話したフォトアワードから作った本です。
印刷代で結構お金がかかった本でね。
写真集は約80ページですが、写真自体は1000枚ぐらいありました。
デザイナーの選択もそうですが、ディレクターも大事。
ディレクションする人間がしっかりフォローアップしていかないと、
いいものができないんですよ。
我々のフォトアワードの場合は、5人のうち誰かが責任ディレクターになります。
受賞者はそのディレクターとある程度のセレクションまで話を進めて、
それからデザイナーと直接やりとりをしてもらいます。
で、本人の希望を入れながら本の形態とかを考えていくのです。
ERICさんのときは...たしか飯沢さんでしたかね。
赤々舎の場合はどうですか?
【姫 野】ケースバイケースですね。
アートディレクターさんを決めるのは、ものすごく大事な選択だと思っています。
一回頼んでみて「ちょっと違ったな...」と、引っ込めるわけにはいかないので...。
うちでは初めからアートディレクターさんに投げることはしません。
ある程度...時には構成のほとんどを
作家さんと私でやってから渡すケースが多いですね。
【校 長】姫野さんが主体でやって、デザインなどを任せる、と。
【姫 野】うん。本当は3人の共同作業が1番いいなと思っています。
最初のたたき台みたいなところは作家と私が作ったとしても、
あるポイントからはアートディレクターさんに入ってもらって、
一緒にあーやこーや言いながら、何度もやりとりをするのがおもしろい。
【姫 野】ERICとは「中国好運」のときに出会いました。
初めて会社に来たとき、大量の印画紙が入った箱を持ってきてびっくりしましたね。
量を見せればいいっていうわけではないけれど、
箱の中に入っていたものがどれも良くて...。
今まで見たことがないスナップだった。
その恐ろしい質と量の積み重なった箱に、とにかくびっくりしました。
日中シンクロという技法よりも、
人間の愚かしさや弱さ...彼が良く言う "可愛さ" みたいなものが迸っていて、
こういうものを体ごと撮れる人を初めて見て、ちょっとあっけに取られました。
そのときはちょうど北京オリンピックの年で、
「これまでとこの先の、"中国の人の行方" みたいなものをもう少し見届けよう」
ということで作ったのが「中国好運」です。
【校 長】あれほどの量でハードカバーの判型となると、制作費はすごいかかりましたよね?
しかも思い切って8000円って...。
なかなか販売するのは難しい感じがして、私だったら萎縮してしまいます。
【姫 野】 金額のことはあまり思い出したくないですが...。苦笑
「本と写真のたたずまいが連動してほしい」という気持ちから、
「ハードカバーにしたい」っていう想いが、初めから強くありました。
【ERIC】最初は「300ページぐらいでやりたい」っていう話をしていたんですよ。
でもそれだと高くなるからあの枚数に絞りました。
【校 長】最初は何枚ぐらい持っていったんですか?
【ERIC】たしか六つ切りのを6箱...600枚ぐらい。
【校 長】彼は西村カメラでプリンティングをやっていまして、
ネガカラーのプリントがものすごくうまいんです。
僕の知り合いの東京の写真家は、
「自分ができないときにERICのところに持っていくと、きちっとあげてくれる」
って言っていました。
本当にすごい力量を持っています。
そんな人が600枚も持ってきたら...すごいだろうなと思います。
【姫 野】本当に。1枚たりとも飽きることなく、体ごと体感できるものがあって驚きました。
彼の写真は細部に写っているものまでおもしろい。
その部分も大事だから、写真集はある程度のサイズが必要でした。
【校 長】あんまり小さくすると細部が見えなくなりますからね。
で、次の本が...
【ERIC】「LOOK AT THIS PEOPLE」。去年の12月に出た本です。
これは中国の南にある雲南省という街を、5年間通って撮った作品です。
(写真集『LOOK AT THIS PEOPLE』はこちらからお買い求めいただけます。)
【姫 野】内容としては "中国" でつながっているけれど、
彼の中の深まりを感じた作品です。
一口で言うと「女の人がいい」って思いました。
彼が言うには「雲南の女性は全員かわいい」ということらしいですが...
【ERIC】女性もそうだけど、中国人の本来あるべき顔だと思う人たちが、
雲南省にはたくさんいるんです。
人類の移動で人々は中国全土に渡ったけれど、
「中国人は元々ここにいたんじゃないかな?」っていう気持ちで撮りました。
【校 長】なるほど。
最後にひとつ。5、6年前にERICさんに聞いたおもしろい話をしましょう。
ああいう撮影をしていると、よくトラブルがあるみたいなんですよ。
で、彼はどうしたらいいかと対策を考えた結果、
「カメラのファインダーから絶対目を外さない」と決めたそうです。
それでいけば世界は怖くない。ファインダーから外した瞬間に怖くなるって。
それと彼はジムに通って体を大きくしました。
昔はもっと小さくて貧弱だったんですよ。
大きくて筋肉質の男にはあまり向こうが来ないっていう理由だったね。
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姫野希美 × 齋藤陽道
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【校 長】次は齋藤さんの話をしましょうか。
彼の住まいは東京なんですが、「写真を学びたい」ということで、
当時、バイクに乗ってうちの体験入学に来たんですよ。
そのとき初めて彼と出会い、手話や筆談で話をしました。
「どうしても大阪に来て写真をやりたい。」
そう言われて嬉しかったですね。
だから彼がしっかりと満足できる授業の仕方をすごく考えました。
彼は入学後、半年は昼間部にいましたが、経済的な理由から夜間部に転部しました。
ERICが授業料が高いと言っていましたが、夜間部だと半額になるんですよ。
で、夜間部に半年ほど通って1年が過ぎた後、
自分で "終了" にして東京に戻り、それ以降はコンタクトがありませんでした。
キヤノン新世紀で賞を取ったことは知っていましたが、
写真を直接見る機会はなかった。
ところが昨年の7月。私が写真の会賞というのをいただきまして、
それの展覧会とちょっとしたパーティーを東京でやりました。
そのときに彼が来てくれて、自分がやっている展覧会のはがきを渡してくれたんです。
そこには「写真集を出します」と書かれていて...
私はそのはがきをもらったとき、不覚にも泣きました。「嘘だろう...?」と。
彼が本気で写真を続けていたことが嬉しかったし、
この「感動」という写真集を見て、本当に感動しました。
【校 長】彼は「やりたい!」っていう想いがすごく強い人。
それとハンディキャップを持っている分、
"目を使うこと" を表現の手立てとして写真を使っている。だから目力も強い。
1年生諸君には『感動』を教科書として、全員に買ってもらいました。
そういう経緯がある『感動』ですが、姫野さんとはどういう風に出会ったんですか?
【姫 野】齋藤くんと初めて会ったのは、まだ事務所が清澄にある頃で、
私が二階の事務所から一階の本棚のあるほうに降りていったら、
齋藤くんが本を見ていたんです。
で、私にメモを渡してくれたのですが、
そこには「写真をやっています。今度写真を見てくれませんか?」と書かれていて、
改めて会う約束をして、後日見せてもらいました。
【校 長】そうですか。最初に写真をご覧になったときの印象はどうでしたか?
【姫 野】私ね、そのときに初めて齋藤くんの写真を見たんですよ。
写真新世紀を見ていなかったので。
それですごく驚きましたね。
人と向きあって写真を撮ることの恐ろしさや美しさ...いろんなものが凝縮されていて、
彼の写真を通して見ると、人も風景も動物も、すべて同じ地平に立っているようで、
自分の中で新しい空間が広がる感じがして、すごくいいなぁと思いました。
私は齋藤くんの写真が本当に好きです。
【校 長】彼は指を差したり言い切ったりせず、見る側に委ねているんですよね。
光に彼が寄り添っているような感じがします。
【姫 野】うん。彼はたしか "孤高" っていう言葉を制作中に使っていましたが、
一人ひとりの "存在" みたいなものがくっきりあるんですよね。
で、それと大事に向き合ってるのがすごくいい。
それが彼の力というか...。本当に驚きました。
【校 長】齋藤さんは、姫野さんに写真を見てもらったとき、どういう印象でしたか?
【齋 藤】写真の見方がきれいな人だなって思いました。
あのとき僕は何も喋りませんでしたが、
姫野さんは「美しい。きれいな写真でとても感動しました」と言ってくれました。
【校 長】スライドだと、一方的にすーっと流れて消えていく...。
ある決められた時間だけを見ることになります。
でも写真集というのは「どんな風に展開するんだろう?」って次を想像したり、
「あれ?」と思ってまた戻ったり。
そういうことがいっぱいできるんですよね。
特にこの写真集からは、そういう息づかいがたくさん感じ取れます。
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姫野希美 × 小野啓
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【校 長】では、次は小野さんの話を。
小野さんの写真集「青い光」もフォトアワードから出た本です。
これと、小栗昌子さんの「百年のひまわり」、下薗詠子さんの「きずな」は人気で、
2、3ヶ月ですぐになくなってしまいました。
ERICのは大分ありますね...。
【ERIC】苦笑。
《会場/笑》
【校 長】小野さんは今度新しい写真集を出すそうですね。
【姫 野】はい。今まさに作っているところです。
さっき彼は「500人撮影した」と話していましたが、
その中から写真集に載せる人を選ぶのがものすごく苦しい。
小野さんは人を選ばず、何かにもたらされて撮影してきたのに、
その中から "選択する" というのはねぇ...。
どうにか300枚まで絞ったんですが、
ということは必然的に300ページになるのかっていう怖い話が出てきて...。苦笑
これは10年間の記録であり、日本のドキュメンタリーでもあるので、
それぐらいの枚数は必要だと思います。
でも300ページで、さらに彼が考えているA4ぐらいの判型となると...
本当に想像したくない。
【校 長】笑。
【姫 野】まぁ私が腹をくくるとしても、
この写真集に高い定価をつけるのは良くないと思うんです。
内容上、高校生の手が出せる金額にしないと意味がない。
そうなるとどうすれば本が成り立つのか?っていう疑問にぶち当たり...
彼と一緒に悩んだ末、協賛を募ってみることにしました。
【校 長】ほほう。新しいやり口だ。
【姫 野】たとえば学生服や黒板のメーカー。
あとはメセナのそういう活動をしている会社とか。
たくさん送ったよね?
【小 野】はい。思いつく限り打診をして...。
【姫 野】これは単純にお金を工面するだけではなく、
彼が写真でやっていることと同じようなことを...
社会とどのようにして接点を持つかを、このことを通じて体験したかったんです。
で、せっせといろんなところに資料を送りましたが、ことごとく敗れました。
【校 長】うちには打診してこなかったね?
【姫 野】!!
【小 野】!!
《会場/笑》
【姫 野】...で、黒板のメーカーが少し値引きをしてくれたので、
それを今回の展示で使わせていただきました。
でもそれ以上の協力はなかったね。
【小 野】はい。お金を直接出してもらうのは難しい状況ですね。
【姫 野】100万単位とかじゃなくても、
もっと少ない金額でも集まれば有り難いんですけど、
なかなかそういうわけにはいかなくて...。でも、なんとかしたい。
【姫 野】写真集の構成は決まっていて、撮った時系列の順番で並べます。
そこは私たちが選択することではありません。
アートディレクターにも会いに行って、準備は万全なんですけど...
【校 長】資金がない、と。
【姫 野】ええ。どうすればこれが成り立つんだろう?って、
私も諦めないけど、彼も粘り強く考えています。
【小 野】はい。粘り強くやっていきたいと思っています。
【校 長】今ね、私は奈良国際映画祭というのを河瀨直美と立ち上げまして、
グランプリを取ったら1年かけて奈良で映画を作れる...という企画にしたんです。
これにはものすごくお金がかかるから、スポンサーをいかに集めるかが重要なんだけど、
スポンサーっていうのは、直接行って交渉しないとダメなんですよ。
資料を渡すだけではダメ。
あなたが写真集を持って歩いて行かないと。
「ここだ」と思うところへまずは訪ねてみる。
もうひとつのやり方は、ネットで先に購読者を募るんです。
たとえば一万円会員を1000人集めたら、1000万円になる。
で、資金が集まったら本を作って、後で配当するのもひとつの方法ですよ。
【姫 野】それ、小野さんと話したことがあるんです。
もう少し金額を下げて、一冊は必ず手元に届くぐらいの額でもいいかなって。
でも「ここまで赤裸々にやるのはどうだろう」という話をしていて...。
【校 長】赤々舎がやると、革命的でいいんじゃないですかね?
次のシステムが生まれてくる気がします。
【姫 野】うーん。やっぱりやるかなぁ?
【校 長】写真集、期待していますよ。今の話を聞いてさらにね。
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姫野希美 × 百々新
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【百 々】最後になりましたが、百々新は私の長男です。
では、おふたりの出会いの経緯をお願いします。
【姫 野】百々さんとの出会いは、手紙が始まりでした。
あるとき封書で「一度会って作品を見てもらえないか」という内容の手紙が来て、
ものすごくいい手紙だなぁって思ったんです。
"伝えたい" という気持ちがひかえめに綴られてて、
何かの圧迫を感じることなく「一度この人に会ってみたいな」と思って、
すぐに百々さんとお会いしました。
【百 々】「本にしたい」って思ったとき、1番に見てほしかったのが姫野さんで、
そんな想いを手紙に書きました。
【姫 野】百々さんが上海に行っていた時期と同じ頃に、
私も2年間上海で暮らしていたんです。
「狂気のような殺気のような色気があって...」って言っていましたが、
私もそれに惹かれてあの街に住んでいたから、
百々さんの写真集「上海の流儀」は、とても印象的でした。
で、「この人は上海の次に何を撮るんだろう?」って気になっていたら、
カスピ海の写真を見せていただいて...。
写真集を出すことはすぐに決まったのですが、
カスピ海といったらヨーグルトぐらいしか出てこなかったので、
百々さんが夏のロシアを撮りに行っている間に自分でも勉強しました。
新作としてはわりと時間をかけて作った本です。
【校 長】なるほど。
【姫 野】見ていてすごく驚いたのが、
「カスピ海に行ってきました」という旅の写真ではなかったこと。
「自分と他者をどう捉えるか?」「その距離をどう見つめるか?」って、
なんか... "寄せては返す" みたいな感じがしました。
それって写真を撮る人がなかなかできないことだと思います。
写真集のかたちはいわゆるドキュメンタリーでも、
「若者が遠い見知らぬ国に行きました」っていう風体でもなく、
写真を見たときの鮮烈な印象のまま仕上げたかったから、
寄藤文平さんにアートディレクターとして入ってもらいました。
おかげで上手くまとめることができたし、作っていてとても楽しかったです。
【百 々】はい。作りたくて作りたくてしょうがない本だったんですけど、
作る過程がものすごくおもしろかった。
僕のやりたいことや思っていることが、
こんなにきれいな本に仕上がってものすごく嬉しいです。
自分の想いをちゃんと伝えるために、
これをどういう風に届けようか?って、今は考えています。
【校 長】写真集になるまでには、出版社やランニングコスト、印刷会社のクオリティなど、
ありとあらゆる選択が出てきます。
紙を選ぶときは「どの紙にしようか?」って、何種類も刷るんですよ。
写真を撮るときとは全然違うプロセスがあって、
それをちゃんとやらないと良い写真集ができません。
だから写真家さんたちはみんな厳密にやっています。
若い人がそれを経験するのは、とても大事なことだと思います。
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Q&A
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【校 長】今日はせっかく4人の作家と姫野さんにお越しいただいているので、
何か質問があればどうぞ挙手を。
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【客 席】百々さんに質問です。
広告のお仕事をしながらの作品制作は、大変お忙しいと思いますが、
モチベーションを持ち続ける秘訣みたいなものはありますか?
【百 々】秘訣...。忙しくないとおもしろくないんだけどねえ。
"写真" というのは見たいものがあったら撮りに行って、
また後でそれを見返せる...確認作業ができるというのが何よりもおもしろい。
自分が見てきたものと思っていること。
それらがどう違って、どう撮れているかな?って。
ある時間軸の中で、そういうのが行ったり来たりしながら変わっていくのが
モチベーションというもので、おもしろい。
わけわかんないものが世の中にはたくさんあるけど、
その中からチョイスするのは自分。
今興味があることをやってみたら、違うことに興味が向くこともあります。
僕もカスピ海に行ったから興味をもったものがある。
仕事をしていくと、いろんな人に出会って刺激を受けます。
そうすると「もっと自由にできないかな?」っていう発想が生まれてくるんです。
クライアントがいるから制約とかもあるけれども、
でもそこはちゃんと自分の中でおとしまえをつけて、
「自分が何を必要としているか?」を考えながら写真を撮っています。
【客 席】ありがとうございました。
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【客 席】齋藤さんのスライドショー。
1枚1枚の写真が重なって融合されて、
ひとつの映像になっていてすごく素敵でした。
皆さんに伺いたいのですが、
写真以外で表現してみたい媒体って何かありますか?
【齋 藤】まじりあってひとつに合わさる...
映像に近いけれど写真。おもしろい。なんかできそうな気がします。
今まで写真で頑張ってきたから、他のことを考えたことはないけれど。
写真がもしできなくなったときは...漫画を描こうかな。
最近ジョジョの新刊が出たけれど読みました?おもしろいね。
《会場/笑》
【ERIC】写真以外でやりたいことはありません。
機会があれば映像もやりたいなとは思うけど、
特に機会もないと思うから、しばらくは写真だけをやりたいと思います。
写真っていっても一作一作、1枚1枚...簡単なように見えますが、
仕上げるのには相当な勢力というか、禁欲も含めたものが必要なんです。
他の表現に力を使うと、
今まで自分がやっていたことがズレてくるんじゃないかな?と思う。
だから写真一筋でやっていきたい。
しばらくはそうしていけたら幸せだなと思っています。
【小 野】僕も写真しか興味がないんですけど、
それを拡張させる手段として、雑誌媒体に興味があります。
写真が文章とともにめくられたり、写真集とは違った情報を載せてもらったり。
あとはひとつのテーマから色々と寄稿していただいたりとか。
そういうことには興味がありますが、でもそれはあくまでも "写真" があってのことで、
"写真を拡張させる手段としての雑誌" という考え方です。
【百 々】僕はたまにコマーシャルやPVを撮ったりしますが、
自分が映画監督になって主体的にやるのは、今のところ考えていません。
河瀬直美さんに頼まれたら考えるけど...。
でもやっぱり写真のほうがおもしろいですね。
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【客 席】齋藤さんに質問です。
先月行われていたアセンス美術での写真展を訪ねた際、
短い時間でしたが筆談をして、すごくパワーを貰った気分になりました。
で、今回はスライドを流すかたちでほとんどお話をされませんでしたが、
スライドをずっと見ているうちに、
あのときと同じようなパワーを貰えた気がしました。
言葉では説明はできないけれど...。
それは "写真家さん" っていう以前に "特殊な才能" なのかな?って思います。
で、アセンス美術ではお仕事写真のファイルがありましたよね?
仕事の写真を "自分の作品" として重要視されている方と、
"まったく別" と捉えている方がいますが、齋藤さんはいかがでしょうか?
【齋 藤】んん??んー、仕事も作品も同じ気持ちでやっていますが...。
【客 席】えっと...
【校 長】仕事で撮っている写真も、作品として撮っている写真も、
変わりはない。同じだっていうことですよ。
【齋 藤】うん、そうです。
【客 席】はい...。ありがとうございました。
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【校 長】今回で10年目...15冊目になる今年のフォトアワードは、
赤鹿麻耶さんの「風を食べる」に決定しました。
11月1日に赤々舎から写真集が発売されます。
今は本を制作中で、やりとりをしながら様々な経験をしているかと思います。
是非、興味がありましたらお買い上げいただけると有り難いです。
それではそろそろ終わりにしたいと思います。
本日は東京からお越しいただきまして、本当にありがとうございました。
《会場/拍手》
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編集:Yuki Okamoto