藤岡亜弥 写真展「離愁」

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©Aya Fujioka

この度、AKAAKAではNY在住の写真家藤岡亜弥の個展を開催致します。
主にブラジルで撮影されたシリーズ、「離愁」は、2004年にニコンサロンで発表の機会を得ましたが、
今回はそれ以降に撮影されたものを多数加え、新たな構成を試みるものです。

作家は、亡くなった祖母が日系移民だったことを知り、初めてサンパウロを訪れました。
もたらされた出会い、ブラジルの大地を彷徨う旅。
でもここに立ち上がってくるのは、誰かの物語ではなく、日系移民のドキュメンタリーでもありません。

少しずつ少しずつ写真や言葉を探っていきながら、私たちが向き合うものは何なのか。
辿れない距離、手に負えないもの、広大すぎる風景、そして人々の声の断片より成る展示をぜひご覧ください。


藤岡亜弥 写真展「離愁」

会期

2012年9月9日(日) 〜 9月29日(土)
OPEN | 12 : 00 ~ 19 : 00
CLOSE | 月・火・祝日

会場

AKAAKA 3階

オープニングパーティー

9月9日(日) 18 : 00 〜 20 : 00


離愁

少しの情報と祖母の粉骨を持ってわたしはブラジルに降り立った。
祖母が帰国して60年が経っていた。
サンパウロには祖母が姉妹のようにして育った「文江さん」という幼なじみがいるら
しい。その人を頼りにはるばる訪ねてみると、肝心の文江さんはなんと2ヶ月前に亡くなっていた。
あぜんと立ち尽くす私に、日系移民ソサエティの強固なネットワークの助けがあり、祖母が帰国して60年以上が経つというのに、
祖母を知るという日系移民の老人たちがぞくぞく集まった。
そこで私を待っていたのは、熱烈な歓迎とわたしの知らない歴史、そして祖国に対する憧れを語り続ける日系一世だった。
遠い国で日本人よりも日本人らしく生きている人々。
その濃密な時間に私は夢中でビデオカメラをまわしていた。

日系移民として20年も暮らしたブラジルは祖母にとって "故郷"だったのだろうか。
日系移民にとって日本はいつまでも"故郷"なのだろうか。
ビデオカメラを回すうち、しだいに重い使命を負いはじめているような気分になり逃げ出したくなっていた。

空はただ青く広大だったが、私は憂鬱だった。
バスから窓の外を眺めていると、100年前とほとんど何も変わっていないであろう景色が延々と続いていた。

辿り着いた道
力強くうねる丘
郷愁の花、イペー
飲み込まれていく赤い土
離愁

私は正面から日系移民にカメラを向けることができず、遠くばかりを見てシャッターを切っていたと思う。
私が知ったふりができることはなにもなかった。
ここにある私の憂鬱は、遠い日に祖母もこの土地で感じた憂鬱なのかもしれない。
手に余るもの、その憂鬱に身を任せたまま旅を続けることだけが許されたのだった。

藤岡亜弥


Aya Fujioka"Saudade" 

2012. 9. 9(Sun.) ~ 9. 29(Sat.)
OPEN | 12 : 00 ~ 19 : 00
CLOSE | Mon, Tue, National Holidays


Opening Party

9. 9(Sun.) 18 : 00 〜 20 : 00