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2月8日の産經新聞朝刊の「After 3・11」のコーナーに写真集『極東ホテル』の鷲尾和彦さんが写真と文章を寄稿しました。

たった「1枚」の中に

 東京都港区のギャラリーAKAAKAで、震災による津波被害を受けた写真約1500枚を展示する「LOST&FOUND展」が開催されている。この写真を収集した「思い出サルベージ」プロジェクトは、津波で流され泥をかぶってしまった写真を洗浄し複写し、その写真の持ち主に届ける活動を行ってきた。昨年8月に宮城県山元町の活動現場を訪問したとき、一枚一枚い たわるように写真を洗い続けるスタッフの方々の姿に強く心を動かされた。

 日常をとらえたその膨大な枚数のスナップ写真には、何が写されて いるのかはっきりと分からないものもある。人物が写っていてもそれが誰なのか判明しにくいものもある。しかし、たとえ「像」が損なわれても、そこに写し出 された存在の「影」は決して薄れたようには感じられなかった。むしろその一枚一枚の中には、多様な物語や時間や記憶が幾重にも積み重なり存在しているとい うことを強く感じた。
 それは、流され、変色し、損傷し、削りとられてしまった不鮮明な「像」の向こう側に、いま目の前には見えない存在を「見ようとする」、見る側の視線と想像力とが呼び起こされるからに他ならない。

 「見る」のではなく「見ようとする」こと。見えるものだけではなく、見えない存在を想像しようとすること。その時、時も場所をも超えて出会うことができるかもしれない。それも全て私たちの想像力しだいなのだ。

鷲尾和彦

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宮城県山元町

1月30日(月)の朝日新聞夕刊に、現在開催中の展示「LOST&FOUND」を紹介していただきました。

展示の詳細はこちらになります。→「LOST&FOUND
LOST&FOUND PROJECT ホームページ → こちら

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1月25日の東京新聞朝刊の一面記事で、現在開催中の展示「LOST&FOUND」を紹介していただきました。

展示の詳細はこちらになります。→「LOST&FOUND
LOST&FOUND PROJECT ホームページ → こちら

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1月18日の産經新聞朝刊の「After 3・11」のコーナーに写真集『浅田家』や『NEW LIFE』の浅田政志さんが写真と文章を寄稿しました。

このカメラたちの代わりに

宮城県気仙沼市の海岸線からほど近いところに、以前は体育館だった建物があって、震災後に地元の人の熱意によって立ち上げられた"写真救済プロジェクト"の拠点となっている。

 3カ月前にこの場所を訪れたとき、静かなその建物の2階で、僕は持ち主を待つカメラが並んでいるところを撮影した。

 ブルーシートの上に集められている被災したカメラやビデオカメラは、泥を落とされて元のように黒光りしている。ちょうど西日があたっていて、青と黒の強いコントラストに僕は思わず見入ってしまっていた。

 ほとんどのカメラは、本体の中まで浸水しているはずだ。いくらきれいにしても、多分動かないだろうに...。そんなことを、見た瞬間に感じたような気がする。

 だけど、カメラのまわりにならんでいるものを見て、少し気持ちが変わった。受賞メダル、メッセージ入りのボール、土産物らしいこけし...。

  このカメラ一台一台にも、それぞれ持ち主がいたのだ。写真は、記憶を思い出させてくれる大切な媒体であることは間違いない。そして、沢山(たくさん)の瞬 間を記録してきた機械そのものにも同じくらい大切な記憶が宿っている。だからこそ、あちこちで拾われたカメラはこの場所に集められ、人々の思いやりによっ て、泥を落とされて、今こうやって目の前にあるのだ。

僕はこの場所を訪れる度に、頬を強く殴られたようにハッと目が覚める思いをする。

 この原稿が掲載されるころ、僕は3カ月ぶりに東北の地を歩いているはずだ。いまだに日常が戻ることのない土地で、自分には一体何ができるだろうか。もしこのカメラたちの代わりに記録できることがあるならば、それは一体どんなことなのだろうか。


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©Masashi Asada

現在AKAAKAにて開催中の「LOST&FOUND展」実行委員長の高橋宗正さんが
大森克己さん、田附勝さんと<写真家が「東北」で見たもの>というテーマでトークをした様子が
雑誌ecocoloに掲載されました。

被災地に赴き、「何かできることがあったら迷わず行こう」と思ったことや
「思い出サルベージプロジェクト」や「LOST&FOUND展」に携わるようになってから
感じたことなどを話しています。

大森さん、田附さんもそれぞれに3.11以降の東北との向き合い方を語っていらっしゃいます。

写真家がこの震災や現在の東北に対して何を見、何を感じ考えたか、
ぜひお読みになってみてください。


高橋
写真って、こんな大変な思いをしてまで探しに来る人がいるんだなと。
こういうことが起きるまでは、家の引き出しに入っていて、たまにしか出さないものかもしれない。
だけど、全部が流されて、友達や知り合いが死んでしまった時に、みんなが最初に探しに来るのが写真だっていう話を聞いて。
なんでそんなに大事にされるんだろう。そんなに大事にされるものなんだったら手伝いたいと思ったんです。
あと、その気持ちを知りたかった。


下記URLに、4時間にもわたったというこのトークの断片が掲載されています。
誌面には載りきらなかった部分ですので、ecocolo本誌と合わせてぜひご一読ください。
URL:http://ecocolo.com/culture/c58/

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