写真集『BIRTH』、『DANCE』の写真家・澁谷征司が
年末から箱根にある彫刻の森美術館にて、展覧会「LETTERS」を開催いたします。
みなさま、お誘い合わせの上、ぜひ足をお運びください。
「LETTERS : 瞬きと旋律」
〒250-0493 神奈川県足柄下郡箱根町二ノ平1121
TEL: 0460-82-1161
HP: http://www.hakone-oam.or.jp/
マルチホールにて
《主催》 彫刻の森美術館
《協力》日本通運株式会社東京ベイエリア支店 / 株式会社フレームマン
【プレスリリース】 Seiji shibuya_PressRelease.pdf
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「LETTERS」
自分の写真にあらためて出会うときがあります。
写真の姿や色合いが違って見えて一瞬「誰が撮ったんだろう」と本気で思う。
なんだか無責任なようだけど悪くない瞬間です。
何度となく作品として発表してきたのに、今時分の撮った沢山の写真を眺めながら
少しの懐かしさと書いたことも忘れていた手紙を見つけるような不思議な感慨があります。
この展示は僕の今までの作品と今回美術館のために撮りおろした作品で構成しています。
昨年の一月から箱根と美ヶ原、あわせて36回ほど通いました。
一年以上かけて撮影しているので、寒い時暑い時気持ちいい時土砂降りの時、といろいろあります。
日の出を待ってもなかなか雲がどいてくれなかったり、
積もった雪に腰まで埋まりながら撮影することもありました。
自然をここまで意識した撮影は初めてだったかもしれません。
美ヶ原では一息つくためによく小さな小屋で過ごしました。
薄明かりの小屋の中から外にある空やオブジェ達の存在を感じるのは少し特別な時間でした。
会場の真ん中にある小屋はそこに由来しています。
「letter」という単語には「手紙」だけでなく「文字」という意味もあります。
文字はそれ自体が意味を持つわけではありません。
文字が指し示す向こうに意味や意味だけではない何かがあります。
写真も同じようなものではないかと僕は考えています。
何が写っているのか、どのように切り取られているのか、そして対象に向かうという行為、
それらに意味があるのではなくそれらが「指し示すもの」に
見る人が見出すべきことがあるのではないかと思います。
大切なことは、この紙の上にあるのではなく、写真と見る人との間にある。
好きなひとと手をつないで森の中を歩くとき
話しながら歩くのもいいけれど、何も言わずに歩くのもいいものだ。
こういう親密さをよく憶えておこうと思う。
そういう写真を撮りたいと思う。
どこまでが自分の手でどこまでがそうじゃないのかわからなくなるような。
2011年12月
澁谷征司
©Seiji Shibuya "Coquelicot 2008"
年末から箱根にある彫刻の森美術館にて、展覧会「LETTERS」を開催いたします。
みなさま、お誘い合わせの上、ぜひ足をお運びください。
「LETTERS : 瞬きと旋律」
会期
12月30日(金) 〜 2012年3月20日(火)会場
彫刻の森美術館 : マルチホール〒250-0493 神奈川県足柄下郡箱根町二ノ平1121
TEL: 0460-82-1161
HP: http://www.hakone-oam.or.jp/
トークイベント
2012年3月3日(土) 13:30 〜 14:30マルチホールにて
《主催》 彫刻の森美術館
《協力》日本通運株式会社東京ベイエリア支店 / 株式会社フレームマン
【プレスリリース】 Seiji shibuya_PressRelease.pdf
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「LETTERS」
自分の写真にあらためて出会うときがあります。
写真の姿や色合いが違って見えて一瞬「誰が撮ったんだろう」と本気で思う。
なんだか無責任なようだけど悪くない瞬間です。
何度となく作品として発表してきたのに、今時分の撮った沢山の写真を眺めながら
少しの懐かしさと書いたことも忘れていた手紙を見つけるような不思議な感慨があります。
この展示は僕の今までの作品と今回美術館のために撮りおろした作品で構成しています。
昨年の一月から箱根と美ヶ原、あわせて36回ほど通いました。
一年以上かけて撮影しているので、寒い時暑い時気持ちいい時土砂降りの時、といろいろあります。
日の出を待ってもなかなか雲がどいてくれなかったり、
積もった雪に腰まで埋まりながら撮影することもありました。
自然をここまで意識した撮影は初めてだったかもしれません。
美ヶ原では一息つくためによく小さな小屋で過ごしました。
薄明かりの小屋の中から外にある空やオブジェ達の存在を感じるのは少し特別な時間でした。
会場の真ん中にある小屋はそこに由来しています。
「letter」という単語には「手紙」だけでなく「文字」という意味もあります。
文字はそれ自体が意味を持つわけではありません。
文字が指し示す向こうに意味や意味だけではない何かがあります。
写真も同じようなものではないかと僕は考えています。
何が写っているのか、どのように切り取られているのか、そして対象に向かうという行為、
それらに意味があるのではなくそれらが「指し示すもの」に
見る人が見出すべきことがあるのではないかと思います。
大切なことは、この紙の上にあるのではなく、写真と見る人との間にある。
好きなひとと手をつないで森の中を歩くとき
話しながら歩くのもいいけれど、何も言わずに歩くのもいいものだ。
こういう親密さをよく憶えておこうと思う。
そういう写真を撮りたいと思う。
どこまでが自分の手でどこまでがそうじゃないのかわからなくなるような。
2011年12月
澁谷征司
©Seiji Shibuya "Coquelicot 2008"