「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容

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 「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容
  瀧口修造・阿部展也・大辻清司・牛腸茂雄
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  Book Design:須山悠里
  
  発行:赤々舎

  Size: H255mm × W180mm
  Page:240 pages
  Binding:Softcover


  Published in May 2023 
  ISBN
978-4-86541-169-0

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About Book


1930年代から80年代にわたり、瀧口修造、阿部展也、大辻清司、牛腸茂雄と引き継がれた

「前衛」写真の精神、その今日性(アクチュアリテ)─



本書は、瀧口修造(たきぐち・しゅうぞう、1903-79)、阿部展也(あべ・のぶや、1913-71)、大辻清司(おおつじ・きよじ、1923-2001)、牛腸茂雄(ごちょう・しげお、1946-1983)の4人の作家の交流と創作を辿りながら、戦前から戦後へと引き継がれていった、前衛写真として想起される技巧的なイメージを超えた「前衛」の在り方を示します。

1930年代、技巧的な前衛写真が活発に発表されるなか、瀧口は、写真におけるシュルレアリスムとは「日常現実の深い襞(ひだ)のかげに潜んでいる美を見出すこと」と語りました。
瀧口とともに1938年に「前衛写真協会」を立ち上げた阿部は、瀧口に共鳴し、『フォトタイムス』 誌上で瀧口の言説に呼応する作品を発表します。それらは、シュルレアリスムの詩情を重視する表現から、「街や野に役に立たぬものとして見捨てられた風景」に「新しく素直な調和」を見出して記録する写真へと変化を遂げました。
また、瀧口と阿部に強く影響を受けた大辻は、「なんでもない写真」と題したシリーズを手掛けます。そして、大辻の愛弟子・牛腸は、「見過ごされてしまうかもしれないぎりぎりの写真」という自身の言葉どおり、独自の視点で周囲の人々や風景を捉えました。

2023年は、瀧口修造生誕 120 年、阿部展也生誕 110 年、大辻清司生誕 100 年、牛腸茂雄没後 40 年の節目の年にあたります。
ウジェーヌ・アジェ、北代省三、小石清、斎藤義重、坂田稔、下郷羊雄、高梨豊、土屋幸夫、勅使河原蒼風、永田一脩、長谷川三郎、濱谷浩、山口勝弘などの作品をあいだに含む、図版157点、大日方欣一、松沢寿重、畠山直哉による寄稿、豊富な解説と資料からも、4作家の思想と作品をたどり、「前衛」写真の精神が持つ今日性(アクチュアリテ)を、わたしたちの現在に投げかけます。



 
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"十年程前に老齡で死んだ巴里の写真師ウジエーヌ・アトジエは近代写真の神話をつくつたものだ(中略)
シユルレアリズムが、現代に於いて、想像的な芸術、幻想の要素を追求するといふ特異な点に関しては何人もその功績を否定し得ないであらう。そして写真の偉大な機能は、人間の影像の機能をも解放する。"

瀧口修造


"私は作家のエスプリの問題に関しての、夢及びオートマチズム、作用するオブジエ、 パラノイアクリテイク、霊感のメカニズム等の実験や理論の元に作品を持つて強力に私達を動かして来るシユールレアリズムの不可思議な新しく美しいイマージユの世界を深く重んずる、と同時にそれが私の生活からの季候的 (ママ) な感動に肉付けられた言葉であらねばならないと考へてゐる。
シユールレアリスム の、オブジエや夢のメカニズム、幻想等の意味を単に奇怪な幻想とかグロテスクなものゝアンサンブルと云つた風な方向ばかりでなしに、私達の日常的なものゝ中での発見にもその可能な方向を考へることが出来ると思ふ"

阿部芳文


"彼は自分の写真を〈なんでもない写真〉と思ったのです。たしかにその意味では、他人にとって、これといって伝えてくれるものは何もないので、〈なんでもない写真〉かもしれません。その上彼にとってさえ、この写真が何であるか、言葉でうまく説明できないのです。彼にもこの写真がよくわからないのだ、といってもいい。なぜなら彼のぶらぶら歩きながらパッパッと撮る方法には、オートマチスム的な手法を積極的に採用しよう、という意図があるからです。(中略)
これは写真という一個の客体であること。その価値は写真自体に問うものであること。万人の関心に迎えられるとは、はじめから期待していないこと。なぜならここは娯楽場ではなく実験室なのだということ。これでは少々高飛車にすぎます。別な言葉でいい直します。心の内側でしか聞こえない叫びや吐息、つまりホンネを公表するのは、むしろ表現者の最も誠実な提示物であるだろう。"

大辻清司



"われわれ一人一人の足下からひたひたとはじまっている、この見慣れた街。逃れようにもまとわりついてくる日常という触手。見慣れた街角の雑踏、スキャンダラスな犯罪記事、あやしげな広告、甘くやわらかいファッション、軽い陽だまりの会話、数えあげれば限りない。そのような拡散された日常の表層の背後に、時として、人間存在の不可解な影のよぎりをひきずる。その〈かげり〉は、言葉の襞にからまり、漠とした拡がりの中空に堆積し、謎解きの解答留保のまま、この日常という不透明な渦の中で増殖しつづける生き物のようでもある。
私は意識の周辺から吹きあげてくる風に身をまかせ、この見慣れた街の中へと歩みをすすめる。そして往来のきわで写真を撮る。"

牛腸茂雄








目次|Contents




雑誌『フォトタイムス』にはじまる
── 瀧口修造、阿部展也と大辻清司──  大日方欣一 



第1章
1930-40年代 瀧口修造と阿部展也 前衛写真の台頭と衰退

瀧口修造 写真との出会い 
はじまりのアジェ 
瀧口修造と阿部展也の出会い 詩画集『妖精の距離』
阿部展也、美術作品を撮る 
『フォトタイムス』における阿部展也の写真表現 
阿部展也の大陸写真 
「前衛写真協会」誕生とその時代、その周辺──「前衛写真座談会」をきっかけに 


第2章
1950-70年代 大辻清司 前衛写真の復活と転調


前衛写真との出会い 
大辻清司、阿部展也の演出を撮る 
大辻清司の存在論のありか 「APN」前後の動向を手がかりとして 
(コラム)瀧口修造― ヨーロッパへの眼差し
(コラム)阿部展也の 1950 年代写真 
『文房四宝』― モノとスナップのはざまで 
私(わたくし)の解体― 「なんでもない写真」


第3章
1960-80 年代 牛腸茂雄 前衛写真のゆくえ


桑沢デザイン研究所にて 
大辻清司のもとで― 高梨豊の60年代 
日常を撮ること 
『SELF AND OTHERS』(1977) 
紙上に浮かび上がるかたち 牛腸茂雄と瀧口修造
(コラム)瀧口修造のデカルコマニーについて 
(コラム)牛腸茂雄の自筆ノート 
『見慣れた街の中で』(1981) 

 



あくなき越境の射程──遠ざかる主義の時代の地平から 松沢寿重

学生の頃 畠山直哉



作家の言葉──自筆文献再録

写真と超現実主義 瀧口修造 1938
前衛的方向への一考察 阿部芳文 1938
なんでもない写真 大辻清司 1975
見慣れた街の中で 牛腸茂雄 1981


年譜
主要参考文献
作家解説
掲載作品・資料リスト



編集:千葉市美術館、富山県美術館、新潟市美術館、渋谷区立松濤美術館
翻訳:クリストファー・スティヴンズ
校正:山田真弓




The Spirit of Avant-Garde Photography:

Transforming "Nothing Much"

TAKIGUCHI Shuzo, ABE Nobuya, OTSUJI Kiyoji, GOCHO Shigeo


During the 1930s, a large number of works influenced by Surrealism were shown in Japan under the heading of "avant-garde photography." Among these were works by Takiguchi Shuzo (1903-1979) who, based on his view of the photographic medium as "a deep fold in everyday reality," explored the potential of the surreal. In 1938, Takiguchi provided theoretical support for the Zen'ei Shashin Kyokai (Avant-garde Photography Association), which he formed with a group of photographers and painters.

One of the association's founding members, Abe Nobuya (1913-1971) created works in response to statements that Takiguchi had published in Photo Times magazine. Abe's works displayed a rapid shift away from the poetic sensibilities of Surrealism to photographs that documented a "new unembellished harmony" in "landscapes that have been abandoned as a useless part of the city and country." After the Second World War, Abe went on to inspire young photographers with his criticism, while exploring his own avant-garde expressions in photographs taken at various travel destinations.

Otsuji Kiyoji (1923-2001) had been involved with Photo Times during the late 1930s at the height of the Zen'ei Shashin Kyokai's activities. In about 1940, under the direct influence of Takiguchi and Abe, he began pursuing a career as a photographer. In 1958, while continuing to follow this path, Otsuji also began teaching at the Kuwasawa Design School. There, he encountered the new experimental approaches of his young students. As an educator, Otsuji broadened his perspective to include everything from his predecessors to photographers of the same era, while at the same time using his experiences as a first-hand observer of art journalism as a foundation for his work. His Experimental Workshop of Photography series signaled a dramatic change in direction with its emphasis on "Photo of Nothing Much" that focused on the commonplace.

Gocho Shigeo (1946-1983) was one of the students that Otsuji discovered at the Kuwasawa Design School. In 1967, Gocho began to major in photography on Otsuji's strong recommendation, and gradually set his sights on a career as a photographer. Otsuji also wrote forewords for two photo books that Gocho published after graduating from the school, and he keep a close eye on his former student's activities. As Gocho himself put it, he strove to make works that were "just barely photographs, something that might be overlooked," bringing a unique viewpoint to ordinary landscapes that were familiar to anyone.

This year, 2023, marks the 120th anniversary of Takiguchi Shuzo's birth, the 110th anniversary of Abe Nobuya's birth, the 100th anniversary of Otsuji Kiyoji's birth, and the 40th anniversary of Gocho Shigeo's death. While tracing the relationship between these four artists and their work, in this exhibition we hope to convey the actuality of the avant-garde photographic spirit championed by Takiguchi.



Section I

The 1930s to the 1940s:

TAKIGUCHI Shuzo and ABE Nobuya - The Rise and Fall of Avant-Garde Photography


Section II

The 1950s to the 1970s:

OTSUJI Kiyoji - Revival and Transposition of Avant-Garde Photography


Section III

The 1960s to the 1980s:

GOCHO ShigeoThe Development of Avant-Garde Photography

 

 Contribution

OBINATA Kinichi, MATSUZAWA Hisashige, HATAKEYAMA Naoya




Related Exhibiton



「前衛」写真の精神:なんでもないものの変容

 瀧口修造・阿部展也・大辻清司・牛腸茂雄


会期:2023年4月8日(土)〜 5月21日(日)

前期:4月8日(土)〜 4月30日(日)
後期:5月2日(火)〜 5月21日(日)


時間:10:00~18:00(金・土 20:00まで/入館は閉館時間の30分前まで)

会場:千葉市美術館(千葉県千葉市中央区中央3-10-8)

休室日:4月17日(月)、5月1日(月)


関連イベント多数、詳細は千葉市美術館WEBにて

巡回展:

2023年 6月3日(土)〜7月17日(月祝)
富山県美術館|主催:富山県美術館

2023年7月29日(土)〜9月24日(日)
新潟市美術館|主催:新潟市美術館

2023年12月2日(土)〜2024年2月4日(日) 
渋谷区立松濤美術館|主催:渋谷区立松濤美術館

特別協力:武蔵野美術大学 美術館 · 図書館
企画協力:株式会社アートインプレッション







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Artist Information 


瀧口修造 (TAKIGUCHI Shuzo) 1903-79


富山県姉負郡寒江村大塚(現・富山市大塚)生まれ。慶應義塾大学英文科卒業。美術評論家、詩人、芸術家として活動した。戦前 から日本における前衛芸術、とりわけシュルレアリスムの紹介と普及に大きく貢献するとともに、1930年代からさまざまな雑誌 に写真に関する文章も発表し38 年には前衛写真協会を組織、理論的な面で大きく貢献した。戦後は新しい芸術家たちの活動面、 精神面の支柱的存在となるが、ジャーナリズムに疑問を感じ、次第に対個人的な交流へと移行していった。


阿部展也 (ABE Nobuya) 1913-71


新潟県中蒲原郡五泉町(現・五泉市)生まれ。本名は芳文。1948 年以降は展也の名で活動した。29年頃に画家を志し、32年第2回独立美術展に初出品。戦前はキュビスムやシュルレアリスムの影響を受けた絵画を発表。36年頃、写真を撮り始める。37年、瀧口修造と共に詩画集『妖精の距離』(春鳥会)を刊行。38年前衛写真協会結成に参加。41-45年、陸軍写真班員として従軍。戦後は、絵画制作のかたわら、写真分野を含む評論活動を展開。49-52年には、美術文化協会写真部で大辻清司ら後進の指導を担った。53年以降は、インドや東欧を含む世界各地を訪れてルポルタージュ写真を撮影。62年ローマ移住。以後も、欧米の美術動向を『藝術新潮』などに発信し続けた。



大辻清司 (OTSUJI Kiyoji) 1923-2001


東京府南葛飾郡大島町(現・東京都江東区大島)生まれ。1940年、近所の書店に積まれた『フォトタイムス』と出会い、写真家を志す。42年に東京写真専門学校入学、翌年に陸軍応召。終戦後はお茶の水の写真店「高林スタジオ」に就職し、その頃に知り合っ た斎藤義重に誘われ家庭文化社に転職する。47年、自身の写真スタジオを新宿に開業した。この頃、美術文化展に出品するようになる。53 年には若手芸術家の領域横断的なグループ実験工房と、デザイナーを中心としたグラフィック集団に参加。58年か ら桑沢デザイン研究所で写真の授業を担当し。高梨豊や牛腸茂雄などの写真家を育てた。68 年には学生の間で流行している写真 表現に鋭敏に反応し、「コンポラ写真」と呼ばれるこの傾向を言説で後押しした。



牛腸茂雄 (GOCHO Shigeo) 1946-83


新潟県南蒲原郡加茂町(現・加茂市)生まれ。1965年、桑沢デザイン研究所リビングデザイン科入学。67年に卒業後、同研究所で主任講師を勤めていた写真家・大辻清司の強い勧めで写真専攻へ進学する。卒業後も、雑誌への写真掲載を続けながら、71年、桑沢時代の友人・関口正夫と写真集『日々』を自費出版。活動領域は写真にとどまらず、75年にはインクブロットによる個展「闇の精」を開催。77年、『SELF AND OTHERS』を自費出版。78年には個展「SELF AND OTHERS もう一つの身振り」を開催し、第28回日本写真協会賞新人賞受賞。80年、インクブロットによる画集『扉をあけると』を出版。81年、『見慣れた街の中で』 を自費出版。次作『幼年の「時間」』に着手するものの、83年、36歳の若さで死去した。