大橋仁 / そこにすわろうとおもう コメント集

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araki_coment.jpg ついに新世紀の(真時代の)写真家がでた。
をかしくてかなしい。
(ともかく)大橋仁には写真の本能がある。

いま大橋仁が一等賞である!!!!?
エロンドンオリンピック
金だ。金メダル。

これが人性だ?! これが写真だ!?
AVアヴァンギャルド

これぞ現代(現在)アートだ。
これが、現代アートだ。

荒木経惟(写真家)




ページを進むごとに自分の血液がドクドクと激しくなっていくのを感じた写真集は初めてだ。
この表現が好きでも嫌いでもそんなことはどうでもいい(ぼくは好きだ)。
表現者は絶対に見ておいたほうがいいということだけは間違いない。

秋山具義(アートディレクター)




写真集でこんなに楽しんだのは初めてでした!
ヤバすぎる!冗談抜きで!
世界中の人間に見せてやりましょう!

浅野忠信(俳優)




そこにすわる写真家大橋仁の徒労に何よりも圧倒される。
こんなにも人と交わることは切なく腹立たしいものなのか、
鏡のような世界を一歩進む大橋仁の勇気と愚かさに敬意を込めて、圧倒的な量感の写真集を買う。
でも考えたら写真家ってそういう人種をいうのかもしれないな。

コヨーテ編集長 新井敏記(スイッチパブリッシング)




「人間とは血の詰まった袋である」と言ったのは寺山修司だが、大橋仁の『そこにすわろうとおもう』を見ていると「人間とは肉の塊である」ということをつくづく思い知らされる。この「肉の塊」は、切れば血が出るし、煮たり焼いたりすれば食べることすら可能だが、あろうことか喋ったり、笑ったり、妄想を膨らませたり、快楽に身もだえしたりもする。その身も蓋もない存在のあり方を、大橋は目をそらすことなく見つめ続けた。怖いけれども、思わず爆笑してしまうほど愉しい写真集。奇妙にして奇蹟的な超大作が、いまここに出現した。

飯沢耕太郎(写真評論家)




この写真集はスゴイ!
非凡な才能を持つ大橋仁氏の世界観が一気に開花した驚きの力作。
日常から非日常。静寂から混沌。うまれること、死ぬこと。生と性。自然と人間。
そして全ては夢。しかしリアリティあふれる今、がそこに描かれている。

池川明(池川クリニック院長)




戦後作られた写真集のなかでもっとも驚愕すべきものの一つなのではないか。
「凝視」を誘うように作られているが、最後には凝視から解放されて一対一
の関係のむこう側へと突き抜ける。写真による新しい「人類史」。

大竹昭子(文筆家)




物凄い量の男女たちの性行為が永遠に終わらないんじゃないかと思えるほど写される前半。
大橋仁の赤ん坊と等しい好奇心とエネルギーが充満し、やはり声を上げて笑ってしまう。
やがてすべてが「無」になることを承知の上で擦り合う「肉のかたまり」。

後半。
大橋自身の私生活での性行為が写し出される。
その女の目に、メスをぶっ刺され股を開かれピンで四肢を留められ、べったりと貼り付けられる。
女は男の奥底に潜む謎を解剖しようとしているように見える。
生命に対しての大きな謎をたかが「肉のかたまり」の我々が暴こうとするように。

きっと誰も何もわかっちゃいないのだろう、死ぬその時まで、ゼロになる瞬間までは、何ひとつ理解できないまま生きるのだろう。

「肉のかたまりたち」はその誰もに訪れる平等極まりないその瞬間を、ああでもない、こうでもない、と何故か悩んだり苦しんだり嘆いたり放り出しそうになりながら迎える。
いくらがんばって一生懸命に理解しようとしても、し合うことのできない想像力の足らない馬鹿な俺たち。

でも、しかし、だから、わたしは、今日もそこにすわろうとおもう。

THEラブ人間 金田康平(ミュージシャン)




踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら 踊らにゃ損々

カンパニー松尾(HMJM / AV監督)




吐きそうになった。
あまりに生身で、あまりに切実で、
ここにあるのは営みである。
連綿と続いてきた生きる姿である。
だから、虚しく、哀しいのに、
果てしなく滑稽なのだ。
写真でしか描けない性。存在。
希代の馬鹿者である大橋仁は、
それをとてつもないスケールで
容赦なく形にしてしまった。

木内昇(小説家)




「頭にガン!」とやられました。

エロと言われることもあるかもしれないけど、
大橋仁が撮っているのは、いつも人。

ふつうの人
形としての人
生き物としての人
感情をもつ人
環境の中での人

こういう見方をする人がいるんだと思うと、ゾクゾクします。

メーター振り切った表現もすごい!
でも、一つひとつは絵になり、迫るものがある。

この作品が話題になって、きっと、これからさらにいろいろなチャレンジを
するんだろうなぁー。楽しみです。

岸良裕司(経営コンサルタント)




大橋仁が撮る子どもたちの写真が好きだ。それぞれが見せる一瞬の喜怒哀楽が表現されているから。子どもの「純」が見えるから。だから、この写真集は許せない。大橋仁が子どもたちに向ける視線を、一見感じられないから...。なのに目を背けることができなかった。最後までページをめくる手が止まらなかった。そんな自分も許せなかった。しかし、それは大橋仁が撮るもう一つの「純」な世界が、この中にあったからでは。人間が発する深い感情のほとばしり。そこに向けるもう一つの大橋仁の視線。背徳の感情の中にある「純」を引き出されたような痛みと、心の揺れ。そんなことを感じさせたこの写真集と大橋仁を、やっぱり許すことができない。知らなければ幸せだったものを知ってしまった。やられた...。

児嶋芳郎(団体職員)




脳が完全に飛びました。強烈です。

小西神士(HAIR&MAKE UP)




いやぁ、相変わらずのキ○ガイっぷり!
リアルな現実、本当のリアル? なんて言えばいいんだろう...仁ちゃんの写真を見るたび、曲を作りたくなる。理屈じゃないやつを。エッチもしたくなる☆

斉藤和義(ミュージシャン)




この本を見るのは大変だ。まず机の上を片付けて(大きくて片付けないと開けないから)、きれいに拭いて(白くて汚れそうだから)、立ち上がって見なくちゃならない(大きくて全体がよく見えないから)。立ち上がってこの本に向き合い、重いページをめくるのは、見る者にとって身体的な体験だ。からだで見るから、自分のからだに痕跡が残る。それくらい大きな本。いろんな意味で。たとえるなら借りてきたDVDじゃなくて映画館で見る映画です。そう、映画みたい。いくつもの物語を内包するエピック映画。大橋は映画監督だ。世界の人の記憶に残るフェリーニみたいな巨匠になっていくんだと思う。

さとうすみこ(クリエイティブディレクター)




でもさ修正なしで見たかったなー

今日死のうと思ったって、生きる事で悩んでたって、目の前に好きな女性が生足で歩いていて
足でも組んでいれば、誰だって感情が高ぶったりニヤけたりヤリたくなる。

文学とかジャーナリズムというのは死にたいという事を描くのが向いているけど、
写真というのはヤリたいとか、おぅらあーっ!って気持ちを描くのが一番向いてると思う。
あとはその気持ちがだんだん縒れたり歪んだりしていく、その有り様を覗き抉って行く感じね。

こんな写真集、きっと今後も出てこないでしょう。
だって内容も金の掛け方も、馬鹿じゃなくちゃ作れないしょ。
でもこんな馬鹿やれる奴こそが、ちゃんと生きているってことだと思います。

この写真集はあらゆる意味で、ただの欲望でありすべての欲望だと思います。
日本が今一番必要としているものって、これだと思います、本当に。

鹿野 淳(ロックジャーナリスト、MUSICA発行人)




自意識も情緒も吹っ飛ばしてしまった壮大な肉と肉の絡み合い、原初の人間を感じさせます。写真の力を信じているからこそできた偉業です。もちろん大真面目な写真集ですが、圧倒されながらもなぜか可笑しくて笑いました。そして少し哀しくなりました。

末井昭(編集者・エッセイスト)




得体の知れない巨大な何か、その忌まわしい支配に抗い、
いつでもリセットするようヒトはあらかじめつくられている、
そのことを写真家大橋仁は見えるようにしたのだと思う。

鈴木成一(グラフィック・デザイナー )




圧倒的な生命力。

口を開けば賛否がでるであろう
この写真たちに対しては、
ただ、黙して感じることが正しいのではないかと思った。

鈴木利幸(united lounge tokyo / Art Director)




遂に大橋さんは、やっちまった! このパンドラの箱のような写真集を開いた瞬間、ああ、人類は数千万年前にこうやって誕生したのだ! そういうイメージが湧き上がった。続いてリーフェンシュタールのベルリンオリンピックの記録映画『民族の祭典』『美の祭典』を凌駕するかのような、醜くも美しい人間の行いが次々と現れる。戦争や飢餓や誕生やら人類がこれまで経験した歴史の数々の縮図がここに収められている気がした。そして最後は、今という時間で、ここという場所に戻る。人類の歴史と宇宙の果てと、そして今、人間が生きているこの場所が同居するなんて、大橋さん、あなたは本当に途方もないところまで行ったよ。

瀬々敬久(映画監督)




はっきりしてるだろう?
くっきりしてるだろう?
ガンときてグッとなるだろう?
これが写真だ。

曽我部恵一(ミュージシャン)




もし写真やアートなるものがいまだ軽薄な「文化」に陥っていないとするなら、私たちはこの作品の鋭い問いにしっかり耳を傾けられるはずだ。それが今、試されている。

竹内万里子(写真批評家)




ぼくらはみんな生きている。食べて、酒を飲み、笑い、泣き、学び、働き、歌い、踊り、セックスをして、眠る。生きることのまっただ中にいると、生きることのすべてに囲まれているのに、そのまっただ中にいるがゆえに、かえって何も見えて来なかったりする。大橋仁さんの写真は、そんなぼくらの生きている瞬間を痛いほど鮮やかに切り取り、生きるとは何か、生活とは何か、人間とは何かということをぼくらに見せつけてくれる。生きるとはどういうことなのかをぼくらに問いかけ、その答を見た人一人一人に考えさせる写真だ。つまりとんでもなく恐ろしい写真なのだ。

中川五郎(フォークシンガー)




ページを開くたびに 何か見えない予感が じわじわせまってきてさ

裸でスタートラインが切られてからは

言葉にならない

ただただ めくるたびに笑っちゃった 。

だはははっ だぁぁっ でぅはははははっ



声あげて 爆笑がとまらんくなった

でも どうやら

おかしい わらえるって ことだけじゃなくて

僕から出た声と 体の動きには

こわい

もまじっていた

受け止めきれない

逃げ出したい

目を背けたい

目が離せない




いままで横で一緒に わらっていたのに

次の瞬間 急に首をしめられて

殺されそうになって いる

必死で 生きようとする


全方向にはなたれる

転げ回る

やりきれない 怒り

どこにも ぞくしてない

この 胸に あらわれた なにか

どこか僕が 僕のかくしたがってる ものだな

ないことにしたい なにかだ



助けてください

許してください と

手を合わせて 心が言った気がするんだ

ハナレグミ 永積 タカシ(ミュージシャン)




10数年前、撮影現場で初めて会った大橋仁は屈託の無い笑顔で
「こんな写真集出してるんですよ」と
『目のまえのつづき』を差し出した。
写真集を見ている私の横で明るく解説をしてくれる大橋仁のお陰で、
つづいてゆくいのちの光みたいな写真だなと思いながら見た。

子供の頃、入院ばかりしていた私には、病院の思い出が沢山ある。

隣のベットに長期入院していたトランプの上手な切り方を教えてくれたお姉さんは、だんだん ご飯が食べれなくなって、
ある時気付くと綺麗にシーツをかけられたベッドがあるだけになっていた。

「チョコレート食べちゃダメなの。だってね、チョコレートには塩分があるからって」
と言っていた同い年くらいの仲良くなった女の子もどこかへ行ってしまった。

人は、生まれて、死んでゆく
すべての生き物がそう。 なのに
どうして心臓が動いているのかも解明されていない。
本当は科学も医学も生命(いのち)については何もわかっていない。
わかっていない謎だらけ。
みんな謎が好き。知りたいし、覗いても見たい、見た事がないモノを見たい。


衝撃的な見た事のないものを撮りたくて、戦地へ行くのが戦場カメラマンだとすれば、
自分で戦場を作って撮影してしまったのが大橋仁かもしれない。
その両者は天と地ほどの生と死の差はあれど、私の中では並列だったりもする。


『そこにすわろうとおもう』

今回も屈託なく 良くできたプラモデルを自慢でもするような笑顔で差し出された。

そして私は今もトランプを切るのが上手いし、儚くも美しいものの一瞬の輝きを残すためにメイクをしている。

中野明海(Hair&Make-up)




涙が垂直に飛んだ!

中村佳代(映像ディレクター)




仁さんにコメントを求められたが なに書いていいか判らないので この写真集を初見しながらリアルタイムでメモ書きしたやつ それをそのままお渡しします→→→→→→→人間解体 / 飽和段階に入った国のあらゆる醜怪な面つき•肉付き / 虚ろなことばを繰り返すうちに形骸化してしまった顔つきのすべてが / カメラによって残酷に物質化され / もういちど / にんげんのことばを離れる / 尊厳の向こう側で曼荼羅となった肉の群れ / 業の絡み合い / マス•コミュニケーション / 大量死 / と / 大量性 / 生きるということ / と / 大橋仁は / 過去の偉大な写真家たちを超えて / 21世紀芸術のてっぺんに立ったな / そういえば / これまでの2冊は / ページ構成以外 / 無演出だった / 今作の集団シーン / 初の演出では? / 好き勝手やると / こうなるのか? / 恐ろしい男だな / 嘔吐感をこらえながら読み進めるが / 2時間たっても終わらない / まだ半分あるぞ / 俺は甘かった / 地震が起きてから / ひとを傷つけないことばかり / 考えていたよ / 大橋仁は / 優しくはないが / 真面目だなあ / 何枚めくっても / 終わらない / 何枚めくっても / 仏にならない / 写真とはこれほどまでに凄まじいものだったか / こんな音塊よりもオブジェよりも建造物よりも / はるかに量感をもった写真は / 初めて / こないだ大きな美術館に行ったら自分でも名を知っているような著名なアーティストたちの作品が集まっており / なかには大変巨大なものも展示されていたが / これほどの量感を感じる創作物は / 1つもなかった / スカスカだった / スカスカの国に落ちて来た異常な塊 / これはほんとうに本なのか? / いやたしかにこれは本であり / 写真集だ / 写真でなければ絶対に不可能なことだけで構成されているのだから / 何枚めくっても / 終わらない / 何枚めくっても / 仏にならない / まるで京都の三十三間堂を丸ごと腕のなかに抱え込まされたような感じもしたが / あれより凄い / なかなか仏にならないから / 何枚めくっても / 仏にならないということは? / 何枚めくっても / 終わらないということは? / おれはやはりここに最も仏に近いものを抱え込まされ / めくらされているというかんじがしているんだ / 早くこの作品を投げ出したいけれど / それができない / 一葉ごとに重量は増してゆく / 波しぶきをめくり / 惚れた女の服をめくり / 土砂に投げ出された骸の重たい腕をめくりあげ / 澱んだ風にめくられて / アスファルトの下の腐敗した臓腑が灯す燐光に / 一葉ごと焼かれ / 焼かれ / 身を焼かれ / 重みを増してゆくよ / これほど酷い作品は生まれて初めて見た / 天才大橋仁を信じて来て良かった / ありがとう / ●●●●●●●●●●●●●●●●●●●●● / 結局3時間かかって見終えた / なんだこれ? / 真剣に考えなくては

七尾旅人(ミュージシャン)




完全に大橋さんの本にはやられました。ここ何年かで手に取った写真集の中で一番の作品だと思います。
I am completely in love with Jin's book, I think it's the best work/book that I have seen in years ...

セバスチャン・ハウ Sebastian Hau(LE BAL BOOKSディレクター)




人って、
気持ち悪くて、
単純で、
かわいくて、
ちょっと笑える。

目の前にあるものを、素直に受け止めて、
生のままを愛おしいと思えたら幸せだなあ、なんて思いながらページをめくる。
知識や技術の壁をもたないその世界は、
隙だらけで風通しよく、でもしっかりと自分の足で立っている充実感がある。
肉感ある熱が手に残る。
自分にも他人にも血が流れてると思える。

ホントはこういう写真は大きい展示スペースで見るべきだと思う。
キレイキレイと撫で回されるだけのものや、
尖った自己演出を目にする時間にはもう飽きた。
時代のことを語るのはナンセンスかもしれないけど、
いま、このタイミングで、この写真に出会えてよかったと思う。

なんて、偉そうに色々語るもんでもないかも。
なんか今日をがんばる元気が出たのでよかったです。

箱田優子(CMディレクター)




僕はこれを写真集だとは認めない。なぜか。ここに集められているのが、写真なんて甘っちょろいものじゃないからだ。集められているのは、人間......いや、違う。集められたのはホモ・サピエンスでもホモ・ファーベルでもホモ・ルーデンスでもなくて、男女、すなわち欲望を持ったセックスだ。セックス由来の疼きゆえに肉体が生まれたように、呻きにより写真が突き破られている。そして彼らは、すべての出発点である洞窟へと還っていく。

保坂健二朗(東京国立近代美術館主任研究員)




Facebookで「いいね!」疲れしている現代人に
大橋仁が贈る究極の「やだね!」体験=是非あなたも!

町田道雄(CMディレクター)




人間の肉団子状態が見たい!その一心で、全財産をはたいて作った集団乱交の写真集であり、有名アーティストのアルバムの、ジャケ写を撮ろうとしていたら、首吊り死体を発見してしまう男の写真集である。
大橋仁、どこにすわろうとしているのだ?

松尾スズキ(作家、演出家、俳優)




衝撃のデビュー作『目のまえのつづき』の刊行から14年。
新作『そこにすわろうとおもう』は、
"命とは" 或いは "生きるとは" という
根源的なテーマに愚直に向き合ってきた男のひとつの到達点ともいえる。
性の極致に真正面から挑んだ本作は、
現実と虚構のはざまで "人間とは何か" という根本に触れるようでもあり、
無常観をも想起させる。
私にとっての大橋仁という男は写真家のなかでも比類なき存在であり、
強い連帯感を有するものでもある。

安田英樹(株式会社青幻舎代表取締役)




凄いわ、人間。

変態と天才は母音が一緒。君のことだよ、大橋仁。

箭内道彦(クリエイティブディレクター)




大橋さんにお話をいただいたとき「俺も捕まるかも。山本さんにも迷惑がかかるかもしれないから中身を見てから考えてほしい」と。過激な内容だからと何度も念を押されました。見るまでいろんな怖い想像を膨らませていたのですが、そんな私の稚拙な想像など一撃され、ぐんぐん作品に引き込まれ、ページをめくる手が止まらなくなりました。
こんな大作は見たことないし、ここまで振り切った写真家も知らない。こんなしつこい人もいないと思う(笑)。なにこれ!美術館で見たい!捕まるなんて何の心配もない。全てのレベルを超えて笑えるよ。宇宙までぶっ飛んで神々しいよ!
写真集を作る上でも、判型が大きすぎるから一回り小さくしようとか、ページ数を少し削ろうとか、結局誰の言うことも彼は聞いていない(笑)。余白の取り方を統一して収まりよく美しくなんてレイアウトのくだらない常識も通用しない。私の少しの経験や知識なんて遥か彼方に葬られ、とにかく魂でぶつからないとこっちが壊れちゃう。こうでしかなかったし、これを作らないと彼はどこかに行っちゃうんじゃないか。そんな気配すら感じた時もありました。
だから、ああ辛かったー!そして本当に本当に楽しかった!!
次は是非、無修正を海外で。

山本知香子(アートディレクター)




Electric Ladyland

吉井和哉 (ミュージシャン)




強烈なノイズの途方もない音圧で吹き飛ばされそうになる写真集である。としか例えようがない。その音が過ぎ去った後の静寂。言葉では例えようもない、だから音と言うしかない。
過剰でエクストリームな表現にありがちな、あざとさや透けて見えるせこさはここにはない。ただただ膨大なエネルギーがブン投げられている。だからなんとも爽快で、圧倒的で、見終わった後はかつてない新たな開放感を得ていた。
そこそこ出来が良く面白く、たやすく手に入る情報を共有して刹那的な祭りとして楽しむ、そんな表現の対極にあるものかもしれない。こんな表現はたやすく手には入らない。祭りに出来るほど軽くない。実際写真集自体めちゃ重い。本てより5キロのカタマリだ。それは中身の猛烈なエネルギーを表している。手に取ってそれを感じてみるのもいい。
英訳のタイトルがあまりに見事でぞくっとしたよ。

よしもとよしとも(漫画家)




大橋仁『そこにすわろうとおもう』は、赤々舎の血肉である。
自分こそが、人間そのものが、いちばんわけのわからない存在だろう。
その奥へ奥へと掘りすすむことが、私の欲望であり血肉である。
写真という大きな問いの器。
その力と切り結んでいく写真家として大橋仁がいる。
時間と戦い、死を引き寄せながら、これからもつづいていく。

姫野希美(株式会社赤々舎代表取締役)



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