Books

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ミルフイユ 03
1,500円+税 | 110 × 180 mm | 208頁 | 並製本
アートディレクション : 中島雄太
企画/発行 : せんだいメディアテーク
編集/発売 : 赤々舎
Mille-feuille 03
1,500JPY | 192 × 260 mm | 208 page | softcover
Art Director : Yuta Nakajima
Published by Sendai Mediatheque
Edited and Distribution by AKAAKA
ISBN : 978-4-903545-69-1
Published in March 2011





About Book

「土に着く」

3.11以降の私たちが新たな意思を見出すために、
地に足をつけたひとびとの新たな関係の発見と、
借りものではない生きた表現やメディアをつくりだしていく可能性を探る。


<目次>
【 第一章】 二〇十一年、土着考 ――手を、身体を、委ね、弄り、模索する。
・銀紙の星 / 栗原彬 ・関係性としての土着 / 高木正勝
・起源の同居 / 遠藤一郎
・掘った穴を埋めて掘り返して埋めてまた掘る / 志賀理江子
・「きりこ」と彼女たち――土着という希望―― / 吉川由美
・地域の話はうんざりだという人へ / 白川昌生
・新しい故郷――団地族に捧げる―― / 谷川俊太郎

【第二章】 コミュニケーションの未来へ
・「伝わらないこと」のおもしろさ / 西川勝
・「表現すること」のもどかしさ / 毛利嘉孝
・「集団の力――コミュニケーションから生まれる創造性」 / 甲斐賢治
・トークセッション第一部「伝わらないこと」のおもしろさ 抄録 / 田門浩、田 原、西川勝
・トークセッション第二部「表現すること」のもどかしさ 抄録 / いとうせいこう、白石草、津田大介、毛利嘉孝
・トークセッション第三部集団の力――コミュニケーションから生まれる創造性 抄録 / レオニー・バウマン、諏訪敦彦、寺本弘伸、八田真行、ピーター・バラカン、甲斐賢治

【第三章】 中村ハルコ「海からの贈り物」 ・"adventure"という視点から――中村ハルコの写真を語る / 下館和巳
・足の裏から。おわりに「ミルフイユ」編集後記に代えて / 佐藤泰

Book Previews

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Artist Information

せんだいメディアテークとは?

せんだいメディアテークは、2001年に開館した仙台市にある文化施設。世界的な建築家・伊東豊雄氏による設計と、「最先端の知と文化を提供(サービ ス)」「端末(ターミナル)ではなく節点(ノード)へ」「あらゆる障壁(バリア)からの自由」を運営コンセプトによりグッドデザイン大賞(2001年)を 受賞。図書館、ギャラリー、シアターなどを持ったこの空間で、これまでさまざまな展覧会や上映会、ワークショップなどが日々行われている。



planning for the "sendai mediatheque" began in 1994. at the beginning, plans called for a multifunctional facility comprised of a library, gallery, visual media center that also contained services to aid the sight-and hearing-impaired. subsequently, plans changed so that instead of simply being a "mixed-use" facility, it was intended to encompass a larger sphere of functions that would allow the facility to operate as a unified "mediatheque" with common goals to respond to a continuously changing information environment and users' diverse needs. the "sendai mediatheque will gather, preserve, exhibit, and present various forms of media without being bound to form or type. this public facility for the 21st century will, through its various functions and services, be able to support the cultural and educational activities of its users.

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名和晃平--シンセシス
名和晃平 作品集
9,524円+税 | 300 × 285 mm | 240頁 | 上製本
アートディレクション : 豊永政史

Kohei Nawa Synthesis
Art works by Kohei Nawa


9,524JPY | 300 × 285 mm | 240 pages | hardcover
Art Director : Seiji Toyonaga


ISBN : 978-4-903545-73-8
Published in July 2011







About Book 

初の本格的作品集。東京都現代美術館「シンセシス」展公式カタログ。
全冊にオリジナルドローイングピース入り。


◉「名和晃平ーシンセシス/東京都現代美術館」の展示風景、出展作品を全収録、充実の紙面に再現。

◉多彩なドローイング作品を32ページにわたり展開。卓越した表現の源を探る。

◉DRAWING / GLUE / SCUM / PRISM / LIQUID / BEADS / OTHER WORKS
  作家によるカテゴリーごとの解説を扉に、ここ10年の作品を収載。

◉テキスト:名和晃平/浅田彰(批評家・京都造形芸術大学大学院長)/森山朋絵(東京都現代美術館学芸員)

Book Previews

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Artist Information

名和晃平 | Kouhei Nawa  HP→http://www.kohei-nawa.net/

東京都現代美術館「名和晃平ーシンセシス展」ホームページ
http://www.mot-art-museum.jp/koheinawa/

1975 大阪に生まれる
1998 京都市立芸術大学美術学部美術科彫刻専攻卒業
1998 京都市立芸術大学制作展「少年と神獣」同窓会奨励賞
1998 英国王立美術院(Royal College of Art,Sculpture course)交換留学
2000 京都市立芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了
2003 京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程彫刻専攻修了
2003 博士号(美術)取得 博士論文「感性と表皮─現代彫刻における一方法論」梅原賞
2003 京都府美術工芸新鋭選抜展 最優秀賞
2003 キリンアートアワード2003 奨励賞
2004 咲くやこの花賞 [美術部門] , 大阪市
2005 アジアン・カルチュラル・カウンシル (ACC)日米芸術交流プログラム ニューヨーク滞在
2005 京都府芸術文化特別奨励者
2006 ダイムラー・クライスラー・ファウンデーション・イン・ジャパン芸術支援活動プログラム「アート・スコープ2005-2006」ベルリン滞在
2006 平成18年度京都府文化賞 奨励賞
2008 六本木クロッシング2007 奨励賞
現在 京都造形大学 准教授、SANDWICH ディレクター

1998 Kyoto City University of Art,B.A. Fine Art Sculpture Royal College of Art, Sculpture course, Exchange program
2000 Kyoto City University of Arts, M.A. Fine Art Sculpture
2003 Kyoto City University of Arts, Ph.D. Fine Art Sculpture Selected Artists in Kyoto
2003 highest award, Japan Kirin Art Award 2003, encouragement prize, Japan
2004 Sakuya Kono Hana Prize (Art), Osaka, Japan
2005 The Japan-United States Arts Program, Asian Cultural Council, residency in New York Grant of the city of Kyoto
2006 "Art Scope 2005-2006", DaimlerChrysler Foundation in Japan, residency in Berlin
2007 Kyoto Cultural award, Kyoto, Japan
2008 Jury's Prize of ROPPONGI CROSSING 2007, Tokyo, Japan
2010 14th Asian Art Biennale Bangladesh 2010, highest award, Bangladesh





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加害者に共感すること

 ほとんどの母子は同じような表情を浮かべている。無表情と呼ぶほうが正確かもしれない。わずかの例外を除いて誰も笑っていない。

 この目は見たことがある、と思った。思い当たったのは、パレスチナ映画『D.I』を撮ったエリア・スレイマン監督の目だ。プロモーションで来日した2003年、ティーチインの司会を務めた際に会ったのだが、イスラエル占領地区で繰り広げられる超現実主義的ナンセンスコメディとも呼ぶべき自作と同様に、四六時中ジョークを放っていた。
 だが、目だけは笑っていなかった。あまりにも非日常的な日常を送っていると、ジョークが研ぎ澄まされる一方、感情は鈍化し、はては凍結されるのではないか。そんなふうに思わざるを得ないほど、外界を拒絶しているように見えた。
 その目に似ている。母親たちの目も、子供たちの目も。ほぼすべてがカメラ目線で、したがってレンズを通して、我々読者を正視しているように思える。この視線にきちんと向き合うのは容易ではない。誰もが目を背けたくなるのではないだろうか。

 世の中の多くの物事において、人は当事者と第三者に分かれる。それが人の手になる災厄だった場合、当事者は加害者と被害者に分けられる。つまり人災が起こった場合、人は「加害者」「被害者」「第三者」に分かたれることとなる。
『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』の読者たる我々は、言うまでもなく第三者であるだろう。ルワンダは遠く離れている。紛争は我々が引き起こしたものではないし、関わってもいない。我々は人を襲ったことも犯したことも殺したこともなければ、襲われたことも犯されたことも殺されたこともない。だから我々は加害者でも被害者でもありえない。
 同じことは同時代に自国外で起こったあらゆる人災について言えるだろう。ホロコースト、アパルトヘイト、アジア・アフリカ・東欧・中南米諸国における強権政治と虐殺、ヴェトナムやアフガニスタンや湾岸諸国への空爆、文化大革命、チェルノブイリ、天安門、9.11......。日本人にとっては、国内で起こり、被曝者がいまも苦しむ「広島・長崎」と、同じく現在進行形の「フクシマ」は事情が異なる。だが、本稿を書いている4月末時点では、被災地の方々を除くと自らを第三者と捉えている人が多いのではないか。それは、原発容認派がいまだに過半数という、直近の世論調査の結果から窺えるように思う。

 だが我々は本当に第三者なのか。例えばハンナ・アーレントが書いた『イェルサレムのアイヒマン』を読むと、その確信がぐらぐらと揺さぶられることになる。アイヒマンはナチス親衛隊の隊員で、第2次世界大戦中に数百万のユダヤ人を強制・絶滅収容所に送り込んで死に至らしめた、いわゆる「ユダヤ人問題の最終解決」の実務を担った官僚だ。終戦後、アルゼンチンに逃亡したが、イスラエルの諜報機関モサッドに捉えられ、イェルサレムで裁かれて絞首刑に処された。裁判では一貫して「自分は命令に従っただけ」と主張したが、アーレントは「政治においては服従と支持は同じものなのだ」と一蹴している。
 この本には「悪の陳腐さについての報告」という副題が添えられている。アーレントの筆は冷徹に、法廷でのアイヒマンの主張がいかに陳腐であったかを描き尽くす。さらに「アイヒマンという人物の厄介なところはまさに、実に多くの人々が彼に似ていたし、しかもその多くの者が倒錯してもいずサディストでもなく、恐ろしいほどノーマルだったし、今でもノーマルであるということなのだ」と書き加える(大久保和郎訳)。そこで我々は気づかされる。我々の誰もがアイヒマンと同様の蛮行を犯すかもしれないということに。アイヒマンは我々に潜在する多種多様の可能性の一様態であり、その意味で我々はホロコーストの第三者たりえず、それどころか加害者の一部を成しているということに。

 同様に我々は被害者の一部を成しているとも言えるだろうが、加害者の場合とはかなり異なる。差別や戦争や虐殺の犠牲者になる可能性は誰にでもあるけれど、それはまったく受動的な、いわば事故にも似た偶発的災難であって、「悪」のように能動的で遍在的なものではないからだ(上述のアイヒマンとアーレントの主張を比べてみてほしい。前者が「自分は受動的だった」と述べているのに対し、後者は「いや、あなたは実は能動的だった」と喝破している)。
 ホロコーストや広島・長崎やルワンダの犠牲者たちは、自らに咎がないのに、相手から勝手に選ばれてしまった。誰もが「被害者への共感」と口にしたがるけれど、人が共感するのは、自分と同じように考える(かもしれない)、あるいは行動する(かもしれない)者に対してのみである。彼らが「選ばれ」たのは選挙や試験などにおいてではなく、完全に受身であって、自らの考えによるものでも行動でもない。だから、論理的に被害者への共感は不可能だということになる。
 この写真集を見れば、そんなことは言わずもがなだろう。ジョゼットにもトマスにも、ステラにもクロードにも、ジャスティーンにもアリスにも、我々は共感などできない。ただ息を呑んで、目を背けることなく写真を見つめ、母親たちが語る凄惨な物語を読むことで精一杯だ。彼らに対して「がんばって下さい」などと言うのは、控えめに言っても配慮が足りず、不誠実で無責任でさえある。我々はジョゼットを暴行し、ステラを孕ませ、ジャスティーンの家族全員を殺したフツの民兵たちにしか共感できない。それが、吐き気を催させるほど不快であり、思考を停止させられるほど信じがたい行為であったにせよ。

 母親たちの中で静かな笑みを浮かべているのは、p.78-79のイベットだけだ。彼女の言葉を読むと、この微笑みはある種の悟りに基づくもののように思えて二重に心が痛む。想像を絶した経験がイベットを「悟り」へと導いたというわけだが、彼女の経験にも「悟り」にも、やはり我々が共感することは不可能だろう。
 我々は自身の内部にフツの民兵を抱えている。ナチスやポル・ポトや原発の推進者たちも抱えている。彼ら加害者にこそ思いを馳せ、共感し、深く理解しなければならない。もちろん、陳腐な「悪」を称揚するためにではない。二度と出現させないために、である。

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追記〜本文の前に〜 2011年3月16日

 私はこの原稿を、3月6日に姫野さんに届けた。その直後の3月11日に今回の大震災が起こった。

 言葉を失いつつ、言葉が溢れる。すでに始まっている長い闘いに向けて、伝えたい言葉がある。だから、以下の「『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』に寄せて」に追記したい。

 産まれることも死ぬことも産むことも、人智を越えた自然の営みだと思う。問題は、それを誰がコントロールするのか/されるのかということだ。死ぬこと自体が不幸なのではないと敢えて言いたい。どのように死ぬのかが問題なのだと思う。
 また、「健康である」ということは、とても社会的なことだと思う。すべての人間は、健康を含めた「安全と安心」を保障される権利と必要性を持っている。

 私は、災害も紛争も、「しわ寄せ」という構造がひとつの大きな問題だと思っている。情報が集中する地域からそうでない地域へ。大都会からそうでない地域へ。宗主国から植民地地域へ。「しわ寄せ」られている側の切実さに対して、「しわ寄せ」している側は常に無関心、または見当違いの同情を寄せるかである。

 同情ではなく同苦へ。

 今回、東日本大震災発生から5日目を迎えて、特に報道/ジャーナリズムについて多くの事を考えさせられている。「『ルワンダ ジェノサイドから生まれて』に寄せて」の本文は、そのことと関連している。


* * * * *

ジョナサン・トーゴヴニク写真集
「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」に寄せて



 過去に起こったあらゆるジェノサイド(集団虐殺)を想像してみる。

 人間が、かくも残虐/非道な行為を、与える側にも受ける側にもなり得るということ、また、人間がかくも淡々と強くなり得るということについて、私たちは出来るだけ若い時期に、出来れば両方を知っておくほうがいいと思う。
 残虐/非道な行為はもちろん与える側にも受ける側にもならないのがいいに決まっている。しかしそれから逃れられないとしたら?逃れられない構造があるとしたら?その構造を変えるための、あるいはその構造の中でさえ生き抜くための強さと智恵と行動は、何から生まれるのだろうか。

 無知と無関心、そして忘却は恥ずべきことだ。そして無知ゆえの無垢な純情さは、出来事の痕跡や証言に向き合うことを臆病にさせる。
 私がナチスのホロコーストについて知ったのは中学生の頃だ。崇高な正義感などからでは全くなく、当時の貴重な証言を記した「アンネの日記」や「夜と霧--ドイツ強制収容所の体験記録」(旧版・写真図版入りの方)といった書籍を私に示した大人が居たからだ。
 ナチスのホロコーストは大変に有名であったから、私は大人になってからもそれを覚えていて、第二次世界大戦に対するドイツと日本それぞれの市民の、そして自分自身の、現在の意識と行動について興味を維持することが出来ている。

 数ヶ月前、49歳にして私は久しぶりに自分の無知を大きく恥じた。私がルワンダの集団虐殺・集団暴行について初めて知ったのは、数年前に観たNHKテレビのドキュメント番組によってだった。その番組を観た時には「組織化された殺戮」と「生き残り、生き続けるということ」について、何らかの強い印象を受けた記憶がある。しかしここ数年間、私はその集団虐殺が起こったルワンダという国がどこにあり、それはどのくらいの規模で、そして何が原因で起こったのか、詳しく知ろうとはしなかった。その番組には情報が含まれていたのかもしれないが、数年経った今は忘れてしまっていた。

 そして2010年12月、私は京都造形芸術大学で開催された「時代の精神展」第一回としての「ジョナサン・トーゴヴニク写真展/ルワンダ ジェノサイドから生まれて」を見る機会に恵まれた。私は被写体となった女性達の証言内容を知ると同時に、写真家の動機と意思に興味を持った。それで、この展覧会と同写真家による写真集「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」の企画者である竹内万里子さんの助言を得て、いくつかの資料を読んだり映像作品を見たりした。

 そこから知り得て一番愕然とした事は、100年前の植民地政策を始めとした欧米諸国の行為が、ルワンダを含むアフリカ諸国の今も続く苦しみの原因として大きな影響を及ぼしていること、特にルワンダにおける「民族の対立」を生んだのは主にベルギーの植民地政策によるものだったこと、そして今も続く長期・広域・大量に及ぶ紛争・虐殺・レイプ・貧困・難民問題に対して、国連や欧米社会の示す関心は、白人における同様の問題に比べて明らかに低い、いや、むしろ非道に見放している、ということであった。日本で生活する私は、その欧米社会が主に提供する情報によって世界を意識していたにすぎなかった。この私の無知は愚かであり残酷ですらある。

 ここで私は、「自分が今書いた言葉」の、薄情さと野蛮さに立ちすくみそうになる。私は安全な場所でのんきに自らの無知と怠惰を発表している。おめでたいことだ。
 しかし私は今、知らなかったことを知っている。それは、それらを知る前と後とでは、文字通り世界の見え方が変わるような事柄である。2冊の本といくつかの映画とインタビュー記録は、立ちすくんだ私が新たに踏み出す方向を示してくれた。

 「ルワンダ ジェノサイドから生まれて」の写真家ジョナサン・トーゴヴニクはインタビューの中で、ジェノサイドの際のレイプから子どもを産んだ女性たち対して「もし手立てがあるとしたら、自分の子どもたちの将来をどう考えますか?」と質問したと話す。すると彼女たちは「教育だ」と答えたというのだ。これは何を意味するのか?報復や金や権力が必要だと思う時もあるかもしれない。しかし彼女たちは全員が「教育だ」と言ったのだ。ひとりで生きる能力を身に付けるために。自分たち母親はそんなに生きられないでしょうからと言った、という。

 映画「ルワンダの涙」のプロデューサーであり、BBCジャーナリストでもあるデビッド・ベルトンはインタビューでこう言っている。「私にはルワンダの人々の代弁者にはなれない。私に語れるのは自分が経験したことだけだ。この映画は欧米人の立場から『私たちはこうやってあなたたちを見捨てたのです』という内容だ。これを見ることによって、ルワンダの人々のこの事件に対する見方が変わるかもしれない。」この映画はルワンダで撮影され、事件の当事者であるルワンダ人と一緒に製作された。それは当事者へのエンパワメントであり、その思想はほとんどドキュメンタリーのようであるが、しかし多くの人が見やすい劇場映画として仕上げるという意思に貫かれている。

 そして「ジェノサイドの丘」の著者、フィリップ・ゴーレイヴィッチ。この驚異的なルポルタージュは、どのように人はこの世界を想像するのか、その想像という闘いのプロセスを人に伝えることの可能性と責任の在処を、痛みを伴う希望とともに私に取り戻させてくれた。

* * * * *

 写真家ジョナサン・トーゴヴニクはインタビューの中で次のようにも言っている。「あらゆるフォトジャーナリストはアクティビスト(活動家)だと僕は思います。」私はこの意見に賛成だし、ジャーナリストとアーティストはこの点において似ているとも思う。そして、ジャーナリズムも写真や映画のような芸術表現も、どちらも受け手の反応があって初めて成立する。

 ルワンダに続くスーダン等々での紛争。そして、今夜もインターネットが報じるリビアでの無差別虐殺。その状況は、17年前に起きた事件を描いた映画「ルワンダの涙」や「ホテル・ルワンダ」が伝えるものと呆れるほど酷似している。現地からの声なき声と、欧米社会(日本もそれに含まれる)の対応の、絶望的なギャップという点で。
 しかし同時に、その「声なき声」を伝播させることが可能だということを、私たちはすでに知ってもいるのだ。

2011年3月
ブブ・ド・ラ・マドレーヌ

* * * * *

資料情報

「ジョナサン・トーゴヴニク氏のインタビュー」
http://www.mediastorm.com/publication/intended-consequences
(本文中の引用は、竹内万里子氏の翻訳による。)

「ルワンダの涙」2005年、イギリス・ドイツ合作、DVD

「ホテル・ルワンダ」2004年、南アフリカ・イギリス・イタリア合作、DVD

「ジェノサイドの丘」(上下2巻)
フィリップ・ゴーレイヴィッチ著、WAVE出版、各1600円+税
著者は「THE NEW YORKER」等のスタッフライター。 ruwanda_pop.jpg



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 この本へのコメントを半分ぐらい書き終わったところで東北関東大震災が起き、それに起因して福島原発の事故が起きた。しばらく仕事は手につかなかったが、やることは山ほどあった。膨大な量の情報を収集し、直感を研ぎ澄まし、脳をフル回転させながらそれらを選り分け、必要なものをリストアップし、淡々とスーツケースに詰め込む。最初の数日は交通機関が止まり、仕事をしない言い訳もできたが、すぐに東京は放射能の危険に怯えながらも通常の生活を送ることに決めた。わたしなんて、通常の生活に戻ろうと腹を決めたのはつい四、五日前のことなのに。そして再びコメントに取りかかったが、まるで別の人が書いたもののように思えるし、続く言葉が出てこない。そこで思い切って古いものはゴミ箱にドラッグし、新しい原稿を書くことにした。

 わたしはわたしの正しいと信じることに従って生きたい。現代社会において、他人に重大な危害を与える原因にならない限り、この自由は守られている。今回の原発事故に関しては、メディア、電力会社、学者、そして政府が正しいと思うことと自分のそれは、初めから違っていたが、わたしは自分の判断が間違えているとは思わなかった。他者と考え方の相違がある場合、両者がお互いの意見を尊重し、認め合うのが社会の流儀だと思っていた。けれども実際は違っている。世の中の主流あるいは権力を司る集団と対立した考えを持つ自分を信じることには、思った以上の困難が伴い、わたしは自分の考えを様々な形で否定された気がしたし、自己嫌悪や不安に陥らざるを得なかった。

  一夜にして、世界がすっかり変わってしまうなんていうことはないと思っていた。地震の前、わたしはルワンダの女性たちと自分の共通点を、女性であることに集約して文章を書いていた。たとえ彼女たちの壮絶な経験を理解することができなくても、同じ女性という立場から共感することは可能だと考えたのだ。例えば、彼女たちの何人かが語っていたように「もし子供が父親の性質を受け継いでしまったら」という不安は、離婚したわたしのものでもある、なんていうことを書いていた。そうしながら心のどこかでは、彼女たちに起きたようなことは自分の身に起きなかったし、これからも決して起きないと「知っていた」。死や、決定的な傷を負うような経験を、先進国の日本に生まれ育ったわたしがする日は決してこないだろうと、何の根拠もなく、漠然と思っていた。彼女たちに対し、自分は強者であり彼女たちは弱者であるというような、何か非常に気まずい優劣関係を少なからず意識していた。

 この三週間で、その気持ちはゆっくりだが完璧に打ち壊された。自分の外側から暴力的な方法で命がもぎ取られる状態が、初めて具体的に想像できたのだ。なぜ社会がそのような状態に陥ってしまったのかを考える余裕はなく、ただ、どうすれば最悪の事態を避けれるのかを考える数日を過ごした。手だてを知るために、自分は何を信じるのかを一から洗い出し、大きな力にコントロールされそうな意志を立て直し、本当の考えを隠さなくてはならない圧力に耐えた。翻弄され、悩み、敵なのか見方なのかと探りながら人と話し、次の行動を瞬時かつ直感で判断しなくてはならなかった。じっくり考える時間はなかった。そして、二週間半経ってようやくひとつの指針に辿り着いた。

 その指針とは、なによりも命を優先するというものだった。「命」と言うとき、わたしはまず自然と我が息子のことを思った。いままでずっと、わたしのいるところが彼の居場所になり、わたしの食べるものが彼の体をつくってきた。責任はすべて親である人間の上にある。それはときに致命的な重荷だが、同時に、常にわたしの生きるという活動を根本から支えてもきた。 

 不測の事態が起き、緊急の判断を要するときでも人は、その一瞬前までの生活を捨てて行動することを躊躇する。目に見えない放射能(=存在しないかもしれない悪)を怖れて、子供にマスクをさせたり、外遊びを禁止したり、雨の日に学校を休ませて自宅待機したり、ひいては遠いところへ避難したりする必要が本当にあるのだろうか。わたしの心は「ある」と言い、世間は「ない」と言う。わたしが社会を信じないとき、そこには制裁が待っている。「女はすぐに大騒ぎする」「経済を回していくことこそが重要なのに、それを放棄して逃げるのはバカだ」「早く学校に来れるといいね」「発表会の振り付けはちゃんと覚えてくださいね」。時間がなく、どうしようもなくどっぷりと渦中に飲み込まれているとき、これらの言葉がわたしを責め、自己嫌悪に陥らせる。彼らの言っていることは、「以前」の生活においては正論だからだ。さらにそこに、「女」に貼られたレッテルからくるわたし自身の思い込みや劣等感が加担する。女であるわたしは感情的なのかもしれないし、論理的でもないかもしれない。神経質さやこだわりの強さから子供をコントロールし、大切な時間を奪っているのかもしれない。あるいは自己中心的なのかもしれないし、衝動的なのかもしれない。  しかしわたしたちはいま、重大なパラダイムシフトが起きたということに気付かなくてはならない。東京在住のわたしにとっては、原発の事故こそがそれである。いままでの価値観が通用しない世界がすでに到来し、まるで手のひらを返すように、一瞬でわたしを取り巻く世界の価値観を変え、いまも持続している。

 このパラダイムシフトの経験は、写真集にうつるルワンダの女性たちに、わたしをより近く引き寄せた。すでにわたしの目線は、彼女たちのそれとほぼ同じ高さに位置しているように思える。彼女たちに何をしてあげられるのかという少々傲慢な、けれども実際はそれが妥当だと思えた感情が変わり、いまは彼女たちのまなざしが何処を見つめているのか、その行方を教えて欲しいと思う。わたしのしていることが正しいのかを、彼女たちが知っているような気がしながら、もう一度ページをめくる。

 なぜ、彼女たちが自分の子供を産み、育てることにしたのか。その選択のもとには強い風当たりがあり、大きな差別があるのにもかかわらず。彼女たちの多くは、生まれてきた子を愛していると言うが、少なくない幾人かは愛せないと言う。愛しても、愛さなくても、子供を引き受けているという事実に変わりはなく、わたしにはそのことがより重要に思える。なぜなら、自分の気持ちをどう語るかということはあくまで言語の問題であり、どのような表現を選んだとしても、自分の中に渦巻く大きな葛藤を完全に表現することは所詮できないからだ。自分の過酷な過去を乗り超えるために子供と暮らす、あるいは直視できないために子供と暮らせない、そのいずれであっても、新しい命を引き受けるというその決断こそ、誰かに発明された愛という言葉が意味するものを遥かに凌ぐ何かを物語ってはいないだろうか。彼女たちは、起きてしまったことの過ちを自分で引き受けながら、それを子供たちには引き継がないことを強く望んでいる。子供と暮らさないという選択肢でさえ、そこに起因した行動にみえる。彼女たち一人一人の生き方がいま、わたしの新しい問題を自分がこれからどう引き受けるのかを考えるときの支えになっていることはまぎれもない事実だ。女性、母、社会的弱者--立場に共感できさえすれば、括り方は何でもいい―こそがぶつかる困難や示せる生き方があり、それを知り、やり遂げるためにわたしは存在すると思いたい。事実、この世の中には変えなければいけないことがあり、自分のしなくてはならないことがある。 ruwanda_pop.jpg



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