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 この本へのコメントを半分ぐらい書き終わったところで東北関東大震災が起き、それに起因して福島原発の事故が起きた。しばらく仕事は手につかなかったが、やることは山ほどあった。膨大な量の情報を収集し、直感を研ぎ澄まし、脳をフル回転させながらそれらを選り分け、必要なものをリストアップし、淡々とスーツケースに詰め込む。最初の数日は交通機関が止まり、仕事をしない言い訳もできたが、すぐに東京は放射能の危険に怯えながらも通常の生活を送ることに決めた。わたしなんて、通常の生活に戻ろうと腹を決めたのはつい四、五日前のことなのに。そして再びコメントに取りかかったが、まるで別の人が書いたもののように思えるし、続く言葉が出てこない。そこで思い切って古いものはゴミ箱にドラッグし、新しい原稿を書くことにした。

 わたしはわたしの正しいと信じることに従って生きたい。現代社会において、他人に重大な危害を与える原因にならない限り、この自由は守られている。今回の原発事故に関しては、メディア、電力会社、学者、そして政府が正しいと思うことと自分のそれは、初めから違っていたが、わたしは自分の判断が間違えているとは思わなかった。他者と考え方の相違がある場合、両者がお互いの意見を尊重し、認め合うのが社会の流儀だと思っていた。けれども実際は違っている。世の中の主流あるいは権力を司る集団と対立した考えを持つ自分を信じることには、思った以上の困難が伴い、わたしは自分の考えを様々な形で否定された気がしたし、自己嫌悪や不安に陥らざるを得なかった。

  一夜にして、世界がすっかり変わってしまうなんていうことはないと思っていた。地震の前、わたしはルワンダの女性たちと自分の共通点を、女性であることに集約して文章を書いていた。たとえ彼女たちの壮絶な経験を理解することができなくても、同じ女性という立場から共感することは可能だと考えたのだ。例えば、彼女たちの何人かが語っていたように「もし子供が父親の性質を受け継いでしまったら」という不安は、離婚したわたしのものでもある、なんていうことを書いていた。そうしながら心のどこかでは、彼女たちに起きたようなことは自分の身に起きなかったし、これからも決して起きないと「知っていた」。死や、決定的な傷を負うような経験を、先進国の日本に生まれ育ったわたしがする日は決してこないだろうと、何の根拠もなく、漠然と思っていた。彼女たちに対し、自分は強者であり彼女たちは弱者であるというような、何か非常に気まずい優劣関係を少なからず意識していた。

 この三週間で、その気持ちはゆっくりだが完璧に打ち壊された。自分の外側から暴力的な方法で命がもぎ取られる状態が、初めて具体的に想像できたのだ。なぜ社会がそのような状態に陥ってしまったのかを考える余裕はなく、ただ、どうすれば最悪の事態を避けれるのかを考える数日を過ごした。手だてを知るために、自分は何を信じるのかを一から洗い出し、大きな力にコントロールされそうな意志を立て直し、本当の考えを隠さなくてはならない圧力に耐えた。翻弄され、悩み、敵なのか見方なのかと探りながら人と話し、次の行動を瞬時かつ直感で判断しなくてはならなかった。じっくり考える時間はなかった。そして、二週間半経ってようやくひとつの指針に辿り着いた。

 その指針とは、なによりも命を優先するというものだった。「命」と言うとき、わたしはまず自然と我が息子のことを思った。いままでずっと、わたしのいるところが彼の居場所になり、わたしの食べるものが彼の体をつくってきた。責任はすべて親である人間の上にある。それはときに致命的な重荷だが、同時に、常にわたしの生きるという活動を根本から支えてもきた。 

 不測の事態が起き、緊急の判断を要するときでも人は、その一瞬前までの生活を捨てて行動することを躊躇する。目に見えない放射能(=存在しないかもしれない悪)を怖れて、子供にマスクをさせたり、外遊びを禁止したり、雨の日に学校を休ませて自宅待機したり、ひいては遠いところへ避難したりする必要が本当にあるのだろうか。わたしの心は「ある」と言い、世間は「ない」と言う。わたしが社会を信じないとき、そこには制裁が待っている。「女はすぐに大騒ぎする」「経済を回していくことこそが重要なのに、それを放棄して逃げるのはバカだ」「早く学校に来れるといいね」「発表会の振り付けはちゃんと覚えてくださいね」。時間がなく、どうしようもなくどっぷりと渦中に飲み込まれているとき、これらの言葉がわたしを責め、自己嫌悪に陥らせる。彼らの言っていることは、「以前」の生活においては正論だからだ。さらにそこに、「女」に貼られたレッテルからくるわたし自身の思い込みや劣等感が加担する。女であるわたしは感情的なのかもしれないし、論理的でもないかもしれない。神経質さやこだわりの強さから子供をコントロールし、大切な時間を奪っているのかもしれない。あるいは自己中心的なのかもしれないし、衝動的なのかもしれない。  しかしわたしたちはいま、重大なパラダイムシフトが起きたということに気付かなくてはならない。東京在住のわたしにとっては、原発の事故こそがそれである。いままでの価値観が通用しない世界がすでに到来し、まるで手のひらを返すように、一瞬でわたしを取り巻く世界の価値観を変え、いまも持続している。

 このパラダイムシフトの経験は、写真集にうつるルワンダの女性たちに、わたしをより近く引き寄せた。すでにわたしの目線は、彼女たちのそれとほぼ同じ高さに位置しているように思える。彼女たちに何をしてあげられるのかという少々傲慢な、けれども実際はそれが妥当だと思えた感情が変わり、いまは彼女たちのまなざしが何処を見つめているのか、その行方を教えて欲しいと思う。わたしのしていることが正しいのかを、彼女たちが知っているような気がしながら、もう一度ページをめくる。

 なぜ、彼女たちが自分の子供を産み、育てることにしたのか。その選択のもとには強い風当たりがあり、大きな差別があるのにもかかわらず。彼女たちの多くは、生まれてきた子を愛していると言うが、少なくない幾人かは愛せないと言う。愛しても、愛さなくても、子供を引き受けているという事実に変わりはなく、わたしにはそのことがより重要に思える。なぜなら、自分の気持ちをどう語るかということはあくまで言語の問題であり、どのような表現を選んだとしても、自分の中に渦巻く大きな葛藤を完全に表現することは所詮できないからだ。自分の過酷な過去を乗り超えるために子供と暮らす、あるいは直視できないために子供と暮らせない、そのいずれであっても、新しい命を引き受けるというその決断こそ、誰かに発明された愛という言葉が意味するものを遥かに凌ぐ何かを物語ってはいないだろうか。彼女たちは、起きてしまったことの過ちを自分で引き受けながら、それを子供たちには引き継がないことを強く望んでいる。子供と暮らさないという選択肢でさえ、そこに起因した行動にみえる。彼女たち一人一人の生き方がいま、わたしの新しい問題を自分がこれからどう引き受けるのかを考えるときの支えになっていることはまぎれもない事実だ。女性、母、社会的弱者--立場に共感できさえすれば、括り方は何でもいい―こそがぶつかる困難や示せる生き方があり、それを知り、やり遂げるためにわたしは存在すると思いたい。事実、この世の中には変えなければいけないことがあり、自分のしなくてはならないことがある。 ruwanda_pop.jpg



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 ぼうっとして、テレビを見ていた。さまざまな分野で日本が世界で何番目かを面白おかしく伝えるヴァラエティ番組で、その時は世界で離婚率が一番高いというベルギーを取材していた。ベルギーでは離婚率が70パーセントで、本屋には複雑な家庭で育つ子供のために、いろんな人間関係を学ぶ絵本のコーナーがあるという。10分ほどの現地の映像の後にスタジオにカメラが戻り、ひな壇に並ぶ男性タレントのひとりが言った。「日本はまだ幸せだよね、離婚が少なくて」。
 無邪気にこう公言する若い日本男性の心性と、ルワンダで大量虐殺を実行し、女性をレイプした男たちはひとつながりのものだと言ったら、非難されるだろうか。
 ベルギーで離婚率が高いのは、言うまでもなく、離婚しても経済的にも精神的にも独立して生活していけるだけの社会的地位と、離婚に対して差別も偏見も不利益も蒙らない環境を女性が獲得したからだ。シングルマザーの貧困率が高く、仕事がなく、家庭内暴力を受けていても精神的に依存していたら、離婚することもできない。  ジョナサン・トーゴヴニクが写しているのは、ベルギーとは正反対の社会に住む女性たちである。彼女たちはジェノサイドの際にレイプされ、エイズをうつされ、妊娠し、敵の子供を産んだ。父権制が極めて強固なルワンダでは、子供は父親の一族とみなされる。被害者である女性と子供は家族や地域社会から拒絶され、偏見に晒され、困窮と病気の渕に沈んでいくことになるのである。
 「民兵たちは、これから私たちを暴行すると言いました。ただし『結婚する』という言葉を使って。おまえたちの息が絶えるまで結婚してやる、と」という言葉を他人事のように聞ける社会に私たちは生きていない。トーゴニクが写す彼女たちの威厳あるまなざしから私たちは一人として逃れられないのである。
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山口晃:Singa-planet
1,000円+税 | 191 × 257 mm | 61頁 | 並製本
アートディレクション : 近藤一弥
発行 : 国際交流基金

Singa-planet
Works by Akira Yamaguchi


1,000JPY | 191 × 257 mm | 61page | softcover
Art Director : Kazuya Kondo
Issued by Japan Foundation


ISBN : 978-4-903545-72-1
Published in May 2011



About Book 

現代美術を代表する作家・山口晃。
シンガポールをテーマにした新作!


シンガポールの建築は、重力を無視するかのように空へと伸び、
庶民を地べたから高層階へと放り上げます。
かつて地面で隣り合っていた者が、
同じ距離でありながら中空に隔てられる現在。
気楽な旅行者のちょっと不躾な視線は、
そこにどのようなゲートウェイを見出すのでしょうか......。
ーーー山口晃



広い共感を得る山口晃の作品は、「洛中洛外図」などの日本の伝統的な絵画のスタイルの中に、古今東西の事象や風俗、現代の日常生活を同一画面上に取り込み、時間と空間を自由自在に混在させた、 機知に富んだ画風を特徴とする。本書は、シンガポールのジャパン・クリエイティブ・センターでの個展に際してつくられたカタログで、シンガポールをテーマにした新作と、2000年代の代表的な作品の二部構成。

新作のドローイングのシリーズは現地で制作され、HDB(公団住宅)、チキン・ライス、ビジネスマン、おまる等、庶民生活に着想を得ており、それらの事象を見つめる作家の想像力豊かな思索と批評的な視線が交錯する。
第二部では「百貨店圖 日本橋 新三越本店」などの作品群で、第一部の背景ともなる近年の作家の足どりを紹介する。卓越した描写力と遊び心あふれるポップな表現ーーシンガポールでも"山口ワールド"、益々健在!

テキスト:
五十嵐太郎「素晴らしき哉、山口晃の建築世界」
高野清見「越境するまなざし、絵画のたくらみ」

Book Previews

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Artist Information

山口 晃 | Akira Yamaguchi

1969年 東京生まれ、群馬県桐生市育ち。
1994年 東京藝術大学美術学部絵画科油画専攻卒業。
1996年 東京藝術大学大学院美術研究科油画専攻(油画)修士課程修了。
合戦図、時空の混在、更には画面を埋め尽くすように描き込まれた街の鳥瞰図等のモチーフを使い、観客を飽きさせないユーモアとシニカルさを織り交ぜた作風に代表される。

1969 Born in Tokyo, Japan and grown up in Kiryu City, Gumna、Lives and works in Tokyo, Japan.
1996 Tokyo National University of Fine Arts and Music, MA in oil painting
1994 Tokyo National University of Fine Arts and Music, BA in oil painting


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SMOKEY MOUNTAIN
名越啓介 写真集 
4,000円+税 | 258 × 300 mm | 132頁 | 上製本
アートディレクション : 町口景

SMOKEY MOUNTAIN
Photographs by Keisuke Nagoshi


4,000JPY | 258 × 300 mm | 132 page | hardcover
Art Director : Hikari Machiguchi


ISBN : 978-4-903545-70-7
Published in April 2011








About Book 

ドキュメンタリーの新たな旗手・名越啓介が10年をかけて、
フィリピン・マニラのスモーキーマウンテン(スラム街)を撮影した写真集。


光と闇、生と死が激しく交錯するなかに、人の絆や祈りが浮き彫りになる。
ドキュメンタリーのスタイルを内側から揺さぶり、切実なイメージへの回路をひらく新潮流。

「この『SMOKEY MOUNTAIN』は名越啓介という1人の若い写真家がマニラのスモーキーマウンテンに一目惚れし、10年かかって口説き落とした、とても私的なスモーキーマウンテンへのラブストーリーでもあると同時に、深い闇のベールに覆われたフィリピン社会の光と影を収めた貴重なルポルタージュでもある。」
林文浩(DUNE/THE LAST GALLERY)

Keisuke Nagoshi's "SMOKEY MOUNTAIN" is the result of 10 years of photographing the life around an enormous garbage dump in Manila which is inhabited by thousands of people. Over his many trips to Smokey Mountain, Nagoshi became close to the people living there, and this human connection comes through strongly in his work. He's able to document the reality of this place without simply trying to shock the viewer. At times, Nagoshi's photographs approach an almost classical black and white snapshot aesthetic, while at other times he uses a simpler style to show an event, or someone's face. Life in Smokey Mountain is harsh, but Nagoshi is able to offer a carefully considered perspective on the way that people live and die in these conditions.

Includes English translations of texts by editor Fumihiro Hayashi and the photographer.

Book Previews

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Artist Information

名越啓介 | Keisuke Nagoshi

1977年奈良県生まれ。東京在住。1996年より世界各地にてスクウォッター(不法占拠者)との共同生活による撮影を開始。著書に、写真集『EXCUSE ME』(トキメキパブリッシング刊、2006年)、『CHICANO』(東京キララ社刊、2008年)がある。

Born in 1977 in Nara, JAPAN.
When he was nineteen years old, he went to the United States on his own. Traveling many places,from L.A., Seattle,San Francisco, Canada, and to Mexico, he lived together with squatters from the North American continent and portrayed their way of life on his film. After that,this peculiar trip became his lifework. In 2004,he visited the Philippines for the first time and was attracted to Scavenger's yet boundless cheerfulness. Thereafter, he began to take photographs of "heresy" from Asia. In the spirit of his trips with American squatters, he visited four Asian countries.


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第14回アジアン・アート・ビエンナーレ・バングラデシュ2010 日本参加記録 
参加作家 : 名和晃平
1,000円+税 | 182 × 257 mm | 48頁 | 並製本本
アートディレクション : 倉澤洋輝  発行 : 国際交流基金

14th Asian Art Biennale Bangladesh 2010 Report on Japan's Participation

Works by Kohei Nawa
1,000JPY | 182 × 257 mm | 48 page | softcover
Art Director : Hiroki Kurasawa  Issued by Japan Foundation

ISBN : 978-4-903545-71-4
Published in April 2011



About Book 

大注目の現代美術家、名和晃平の滞在制作記録!

今年6月には東京都現代美術館での大規模個展を控える名和晃平。
最も注目される彫刻家の2週間にわたる滞在制作記録。
混沌の首都ダッカの雑貨市で見つけた玩具をモチーフに、6体の彫刻《Villus#2》が制作された。
資本主義の「淀みにあるオブジェ」たちの輪郭を拡大し、その表面を覆う発泡ポリウレタン。
空っぽのボリューム感や肥大化する泡が、現代に生きる我々の「麻痺した感性」を想起させる。
見事、ビエンナーレのグランプリを受賞したこの作品の制作過程を、作家自身によるテキストや写真で浮き彫りにする。

Book Previews

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Artist Information

名和晃平 なわ・こうへい | Kouhei Nawa > HP http://www.kohei-nawa.net/

1975 大阪に生まれる
1998 京都市立芸術大学美術学部美術科彫刻専攻卒業
1998 京都市立芸術大学制作展「少年と神獣」同窓会奨励賞
1998 英国王立美術院(Royal College of Art,Sculpture course)交換留学
2000 京都市立芸術大学大学院美術研究科彫刻専攻修了
2003 京都市立芸術大学大学院美術研究科博士(後期)課程彫刻専攻修了
2003 博士号(美術)取得 博士論文「感性と表皮─現代彫刻における一方法論」梅原賞
2003 京都府美術工芸新鋭選抜展 最優秀賞
2003 キリンアートアワード2003 奨励賞
2004 咲くやこの花賞 [美術部門] , 大阪市
2005 アジアン・カルチュラル・カウンシル (ACC)日米芸術交流プログラム ニューヨーク滞在
2005 京都府芸術文化特別奨励者
2006 ダイムラー・クライスラー・ファウンデーション・イン・ジャパン芸術支援活動プログラム「アート・スコープ2005-2006」ベルリン滞在
2006 平成18年度京都府文化賞 奨励賞
2008 六本木クロッシング2007 奨励賞
現在 京都造形大学 准教授、SANDWICH ディレクター

1998 Kyoto City University of Art,B.A. Fine Art Sculpture Royal College of Art, Sculpture course, Exchange program
2000 Kyoto City University of Arts, M.A. Fine Art Sculpture
2003 Kyoto City University of Arts, Ph.D. Fine Art Sculpture Selected Artists in Kyoto
2003 highest award, Japan Kirin Art Award 2003, encouragement prize, Japan
2004 Sakuya Kono Hana Prize (Art), Osaka, Japan
2005 The Japan-United States Arts Program, Asian Cultural Council, residency in New York Grant of the city of Kyoto
2006 "Art Scope 2005-2006", DaimlerChrysler Foundation in Japan, residency in Berlin
2007 Kyoto Cultural award, Kyoto, Japan
2008 Jury's Prize of ROPPONGI CROSSING 2007, Tokyo, Japan
2010 14th Asian Art Biennale Bangladesh 2010, highest award, Bangladesh


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