空蓮房 ー仏教と写真ー 谷口昌良・畠山直哉 デザイン:木村稔将 発行:赤々舎 サイズ:190 mm × 130 mm ページ数:176 pages 並製本 Published in September 2019. ISBN: 978-4-86541-098-3 |
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About Book
そこで開かれた写真展示を振り返り、その活動と書かれた言葉に思いを巡らす。
谷口が仏教と写真術を同時に考えて語る理由や意義を、畠山直哉によって 「翻訳」し「解釈」したものでもある本文は、いま写真芸術に最も必要とされることは何なのか、
その深化した議論を喚起するための問いかけであり、「祈り」である。
「世の中には数多の言葉や表現がある。だがその中でも、たとえ表面上は『簡単な』ものに見えたとしても、
結局はこのような『簡単ではない思考』の真実に触れようとしている言葉や表現だけが、
主義主張や立場の違いを超えて、また時代を越えて、語り継がれるものになっているとは思わないだろうか。
その真実はまた、僕たち全員を深いところで動かしている『生の動機』あるいは『リアリティ』と
呼ぶべきものに繋がっているとは、思わないだろうか。その真実を求める心の動きを、
たとえば『祈り』や『たましい』と表現して、どこが間違いだろうか。」 畠山直哉 序文より
【目次より】
「無常光下の人像」およびいくつかの文章について
「写真は実体ではなく、虚界の霊像である。」(谷口)
「つまり、写真に写る光は『マーキュリアル=無常』、写真が写るための光は
『パーペチュアル=常』と言い換えても、間違いにはならないのではないか?ということなのです。」(畠山)
「空点からの放光線」について
「作家がものの創造に至る時、その空点に慈悲の根源をかいま見る。」(谷口)
「僕は前の文章で、ギャリー・ウィノグランドに関して『思うようにならない世界に敢えて飛び込む』と
表現しましたが、そこに開ける『リアル』な眺めとはどのようなものか?と考えれば、
それは『自我』とか『物語』とか『イメージ』とかいったもの一切から遠く離れた、ただの眺め、
『現象』としか呼べないような、ただの『ありのまま』の眺め、つまり『空』としての眺め
ではないかと思われてきます。」(畠山)
「日本人であることの写真」について
「私の中に、かすれた畳とざらつく素足の間にあるようなヴォキャブラリーがいまだ残るのである。」(谷口)
「たとえば『禅』あるいは『仏教』を、『自己意識と世界との出会いをどう捉えるか』といった、
西洋の現象学にも通じるような思想的話題としてざっくりと理解し、そのような目で写真史を
眺め直してみると、カルチェ=ブレッソンやロバート・フランク、それ以前の......」(畠山)
対話 谷口昌良×畠山直哉
空蓮房 Archive・展覧会一覧
【掲載作品】
畠山直哉・ギャリー・ウィノグランド・レオ・ルビンファイン・須田一政 他 展示風景多数
Artist Information
谷口昌良
1960年東京生まれ。「空蓮房」を敷地内に構える蔵前・長應院の住職。 1979年に渡米後、写真家レオ・ルビンファイン氏に師事し、80年代のアメリカの写真家と多くの交流を持った。
1984年~1990年には、ロサンゼルスにて浄土宗の開教使に着任。
90年に帰国後、2006年に「空蓮房」を設立。2014年には自身が有する多くの写真作品コレクションを
サンフランシスコ近代美術館および東京国立近代美術館に寄贈する。
畠山直哉
写真家。1958年岩手県陸前高田市生まれ。筑波大学芸術専門学群で大辻清司に師事する。
1984年に同大学院芸術研究科修士課程修了。以降東京を拠点にしながら、
自然・都市・写真のかかわり合いに主眼をおいた一連の作品を制作する。
「Lime Works」、「Blast」、「Underground」、「River Series」などこれまで発表してきた作品シリーズは
いずれも国内外で高い評価を得ており、数多くの展覧会に参加してきた。
その作品は、テート(ロンドン)やニューヨーク近代美術館、東京国立近代美術館など
各国の主要美術館にコレクションされている。
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